2001年のGLAYについて腹を割って話そうぜ:第324曲「ひとひらの自由」(2001)
GLAY紹介、残り16曲。
せっかくGLAYについてnoteを書いてるので、
腹を割って面白い話をしたい。
話したい事はたくさんあるけど、
ひとつ気になっている話題がある。
それは、、
2001年のGLAYへの賛否両論。
同世代の人に「GLAYのファンです」って言うと、
昔聴いてました!
HOWEVERいいですよね!
BELOVEDコピーしてました!
20万人ライブいきました!
といった人達に出会う。
そういった人達のなかで、
2001年以降のGLAYをちゃんと知ってる人となると、かなり限られる。
GLAYは1999年「Winter, again」でレコード大賞を受賞。
同じ年に「サバイバル」「ここではない、どこかへ」など、ヒット曲を連発。
2000年に入っても勢いは止まらず「とまどい/SPECIAL THANKS」がミリオン達成。
そしてベストアルバム「DRIVE」は約263万枚を売り上げた。
しかし「とまどい/SPECIAL THANKS」が、最後のミリオンヒットとなった。少なくとも現在まで。
CDというものがそもそも売れなくなってきた時期と重なるのだけど、それを差し引いても、GLAYはベストアルバムの後、2001年から明らかな方向転換をした。
ヒット曲を作るというより、何かもっと違うものを目指し始めたのだ。それは時期によって変わるのだけど、でも常に、"ヒットではない何か" なのだ。
方向転換の背景には様々なものがあるだろうが、1999年に、TAKUROが少年期から夢見ていた20万人ライブを成し遂げ、燃え尽き症候群や、GLAY解散の危機を乗り越えたのは大きいだろう。
そして、
2001年4月25日に発表したシングルは、
「GLOBAL COMMUNICATION」
タイトルからして、何かが起きている。
そして、黒髪のイメージだったTERUが金髪になる。
短髪のイメージだったJIROがロン毛になる。
何かが起きている...。
GLAY、イメチェン大作戦、といったところ。
私の知人には「GLOBAL COMMUNICATION」で置いてかれたという人や、「手抜きだと感じてしまって、ファンじゃなくなった」という人までいる。
一方で、GLAYファンになったきっかけが「GOBAL COMMUNICATION」だと言う人もいる。ちなみに、その人は今でも熱烈なGLAYERだ。
ちなみに、当時の私の印象は、
「曲はそこまでよくない。でも(前作の)Missing Youよりは良い」だった。
たかたが中学生の分際なんだけどね。
でも、GLAYの "イメチェン" 自体は、かなり気に入っていた。GLOBAL COMMUNICATIONのジャケットに描かれた、謎のプーマや、青リンゴのデザインも、そのイメチェンに一役買っている気がして、とても好きだった。
前の記事で書いたんだけど、リリース日の2001年4月25日に私の大好きだった祖母が亡くなっている。祖母のお葬式に参列しながら、脳内で流れるGLOBAL COMMUNICATIONがとても印象的だった。でも、だからと言って、この曲を嫌いになるとか全然なくて、大人への一歩という意味合いで、私の中でむしろポジティブな印象で記憶のなかに鎮座している一曲である。
GLAYにとってこの曲は、その後のアルバム「ONE LOVE」や、アジアのアーティストとの共演、北京でのライブなど、今後の活動の核となるようなシングルになったと思う。
さて、次のシングルは2001年7月4日、STAY TUNED。
この曲は猛烈にハマった。この曲を嫌いになる人なんているの?って思うくらい好きだった。当時はGLAYの中で一番好きな曲だったと思う。
しかし世間的には「GLAYやっぱり変わってしまった」と思う人も少なくなかったようだね。それを知るのにだいぶ時間がかかったな。それくらい好きだった。
まぁ簡単に言うと、なーんにも考えずに海に飛び込むための歌、なんだけどね。
そして、2001年9月11日を挟み、9月19日
に発売されたのが「ひとひらの自由」。
35万枚の限定シングル。
カップリング無し。
歌詞カードにはTAKUROの文章付き。
これらにより、この曲がGLAYにとって
"特別な曲" であることが分かる。
さて、曲のほうは、
牧歌的なレゲエのリズムに、
Don't worryの連呼。
初見で思った。この曲は歌詞先行だ、と。
SOUL LOVEとか、BE WITH YOUとか、
わかりやすいメロディでヒットさせるのではなく、
歌詞を伝えたい、メッセージを伝えたいのだ、と。
だから35万枚限定シングルなんだな、と。
ヒットさせるものではないのだろうな。
私は、この曲もハマった。
「ひとひらの自由」を聴きまくった9月だった。
当時の数学の先生が「あれは長いだけやん」と言っていた。そんなものかな?と思ったけど、思えば、みんなが同じ方向を見て、同じようにGLAYを賞賛していた90年代から、少しずつ社会のGLAYに対する見方が変わっていったように思う。
2001年という時代は、GLAYが自分たちで目標を定める時代だったのかなと思う。
それは、ヒットさせる、というかつての目標ではない何かを目指す最初の年、スタート地点。
だから、イメチェンが必要だったし、なーんにも考えず海に飛び込む必要があったし、歌詞先行で限定シングルを発売する必要があったのだ。
"全員に受け入れられるようなヒットを目指す"
ということを辞めたら、賛否両論あるのは当然だよね。1999年のGLAYにはみんなが同じ見方をしていたのに、2001年のGLAYに対しては、いろんな人がいろんな見方をするのは当然だよね。
思えば、2006年の"Re-birth"や、2010年の独立の、助走だったんだよなぁ。
こういう言い方は、頑張ってきたGLAY本人に失礼なのかもしれないけれど、私が現在でもGLAYを追いかけたい"理由"って、ファンになった当時からなんだか感じ取っていたように思えてならない。こういう軌跡を辿るバンドであろうことを知っていたような。
そう考えると、
2001年という時代がいかに
愛おしくて、大切な時代だったのかが分かる。
GLAYがGLAYらしく動き出した年。
賛否両論の「賛」も「否」も否定するつもりはない。2001年のGLAYに少しばかり泥臭さを感じることも否めないから。その泥臭さをカッコ悪いと思う場合もあるだろう。私もハードボイルドなロッカーは好きだ。どこまでも尖ってほしい。NIRVANAが優しく世界平和なんて言い出したら幻滅したに違いない。
でもGLAYは最初から、泥臭くて優しいバンドだということを感じ取っていたから、2001年は個人的にしっくりする活動期間だった、そして今も彼らを応援している、というだけだ。
最後にどうでもいい軽い話をさせてくれ。
「ひとひらの自由」のPVのTERU、
ノーセットな髪型と、黒いパーカー。
コンビニ帰りにPV撮影に立ち寄ったみたいで、
なんだか大好きなのだ。
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