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忘れたいのに忘れたくない。人って難しい。GLAY第330曲「SORRY LOVE」(2007)

GLAY曲紹介は、残り10曲。

今日は、別れの曲「SORRY LOVE」
SORRY LOVEとは
"みじめな恋" という意味かな?
自分にとってのSORRY LOVEを、
思い返してみる…
…いやはや、赤面。
イニシエーションラブ(通過儀礼の恋)ならぬ、
ソーリーラブ。
アイムソーリー ヒゲソーリー。
...古い。

恋の終わりの悲しさとは何だろうか?
恋焦がれた人と
一緒に居れないと分かったことへの絶望か。
きっとそれもあるだろう。

でも、いずれ、人は恋の痛手から立ち直る。
2人は別々の生活を歩み始める。
決して交わることない放射状の道。
そして、日常を取り戻していく。

失恋の直接的な痛みではなく、
どうせ、そんな事もいずれ消え去り
日常が訪れ、
忘れ去られていくことへの悲しさがある。
SORRY LOVEは、
そんな悲しさを歌っているように思う。

ここから歩き出す2人のこれからに
冬が来て 春が来て、夏のあと秋が来る
それだけ… それだけのこと

「SORRY LOVE」より

以前「Precious」の記事で、
私の好きなヘレン・ケラーの言葉を紹介した。

ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。しかし、私たちはしばしば閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない

ヘレン・ケラー

この言葉は、私に希望をもたらしてくれる。
「禍福は糾える縄の如し」や、
「人間万事塞翁が馬」も
同じような意味だろう。
しかし、それが"別れ"となると、
ひとたび、別の切なさが顔を覗かせる。

もう一緒に居たくないと思った人であっても、
もっと一緒に居たいと思い合った人であっても、
悲しみを乗り越えて、
新しい日常を取り戻していく事、

それ自体の悲しさというものがあると思う。

忘れたくない―
忘れられたくない―
悲しい出来事でさえも、
忘れたいと思っているのに、
同時に忘れたくないとも思っている。
人って難しい。

しかし、どんなにあがいても
すべて無に帰するのがこの世の宿命。

覚えていてほしい
誰もが去ったこの街で生きた人々の祈りを
ひとり去ってまたひとり去って
歴史の渦に飲まれ消えてゆく

「BETTY BLUE」より

以前の記事で
BETTY BLUEのこの歌詞を"救い”と書いたが、
果たして。
救いも絶望か?
絶望もまた救いなのか?

いっそこのまま、この夜に心を置いてゆこう。

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