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どうやれば、私達は自分を愛することができるのだろう。

人は自分と同じような人を引き寄せる。

3月に新しく友達になった人の中で、失恋をし人生に失望していた男子大学生がいた。私達はTwitterから仲良くなり、バッティングセンターで会った。

それから、良き友達として、たまに連絡をとっている。失恋の痛さや恋愛と依存、パートナーの尊さについて語り合える数少ない語り相手だ。

彼は、恋人に振られて、私は恋人を振った。どちらも別れた時期や理由は違えど、

「恋人がいる自分が最強で、恋人がいる事は心の安定になり、中心だった」

という事で共通していた。私達は認めたくはないけれどこれは、依存であった。

多分どこかでパートナーがいるということを自分は誇らしく思い、カーストの上みたいに捉えていたんだと思う。

自分が別れて思ったのは、「恋人は自分の安全基地」としてかなりのウェイトを占めていたという事だ。毎日あったことを報告して、怒られたら慰めて貰って、褒められたら報告して、ダメなことをしたら怒ってくれて。自分を自分以上に知っている良き理解者を失ってしまったので、参照元も分からず浮いている気持ちになっていたのだ。

彼は、今年から東大の院に行く。周囲からきっと沢山褒められ期待されているだろう。でも、

「そういうのはタグだから周りから褒められても何も思わない。」と言う。

自己肯定感が東大生でどんなに頭が良くても、低い人がいるということに驚いた。そして、恋人を失って、はっきりわかった事があると言う。

「どうやら僕は、自分の愛し方が分からないらしい。他人に愛されるには自分を愛さなきゃいけないとは聞くのに。」

自分の愛し方って、確かになんだろう。恋人から愛されて自分をようやく肯定できていた。「ご自愛しましょ、、、」と言いながらおいしいご飯を食べたりゆっくりしたりするも、本当の意味で自分を愛している気がしない。 

彼は周りから認められるような実績があっても自分を認める事ができない。自己肯定感が本当に低いと言うのだ。それは、自分の底を知っているからだと言っていたが正直よく分からない。

でも確かに、自分を愛するというのは、一体なんなのだろう。

私たちは、ここから先に進む事が出来なかった。そりゃそうだ。2人はまだ、自分の愛し方が分かっていないのだから。

「でも大丈夫だよ、きっと。この期間で模索していこうね。」

そんな感じで、私は慰めた。

どうかな、多分これは解決方法がきちんとあるものじゃないよね。大人になりながら、傷ついて愛して、愛されて、自分を愛する方法をなんとか身につけていくものなのかもなぁと思った。



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