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おばあちゃんの1万円

歳とった。ほんの半年前の自分は、おばあちゃんからの電話とかくれた物とかにここまで愛を感じなかったと思う。

「使えないなぁ〜この1万円は」

リビングでぼやいてみる。

今朝、疲れて爆睡していたわたしを置いて、ママとパパは吉祥寺に住んでいる母方のおばあちゃんちのほうへ顔を見合わせにいった。

今はもう以前ほど気軽に会えなくなった。1年ぶりとかかもしれないけど、会って会話ができたことが本当に嬉しく感じる。

コロナ禍で失ったのは、おばあちゃんやおばあちゃん、世代を超えた人たちとの交流だ。

ここにはもちろん、私達が生まれてきたことを誰よりも祝福してくれたひとたちとの存在が含まれている。

涙が出てしまうのは、歳を取ったからなのか。こんな言い訳をしてみるけど、きっとこれは想像力を持ってしまったからなのだ。

いまある時間。これは生命で違いない。この時代に生きてくれたこと、生き抜いたことへの感謝。本来抱くはずがなかった孤独感への耐性。

離れていても繋がっている愛。

おばあちゃんになっても仕事をしていて、やっとの思いでもらった1万円の重み。

おばあちゃんは好きな仕事をできてるかな?嫌だな、働いてるのが大変だな、と思ってもらったお金かな。

1万円をすぐ稼げる年齢になったけど、もらった価値は1万円ではない。測れないのだ。雑にお金をもらい、お金を稼いでいた。普段の紙きれ1枚ではない重みを感じ、ふと涙が出た。

あーー、歳をとった。この出来事さえ美しいと思ってしまう。

あと何回会話ができるだろう、という想像力が歳をとったということなのか。だったら悲しいから、永遠を見させてくれ。


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