都内うつわめぐり② ~出光美術館へ~
うつわ好きの私はこの夏、照りつける太陽もなんのその、都内の美術館などへ「うつわめぐり」に出かけました。
夏休みの宿題的な感覚で、その記録をしています。
今日はその2回目。出光美術館です。
うつわ好き素人が綴るエッセイです。もちろん、感想は私の個人的なものです。加えて会期は終了しています…。
また、会場内で写真は撮れませんので、美術館のホームページにあるものについてはリンクで作品をご紹介しています。
こんな感じですが、もしよろしければお付き合いください。
出光美術館
出光美術館は、日比谷の「帝劇ビル」の中にある。
出光興産の創業者であり美術館初代館長の出光佐三氏(1885−1981)が、70年かけて蒐集した東洋古美術を中心に所蔵しており、中でも日本や東洋の陶磁器は、コレクションの核となっている。名品揃いで重要文化財に指定されている作品も少なくない。
お堀に面したビルの9階フロアゆえ、ロビーからの眺めがとても良く、また陶片資料を集めた「陶片室」まであって、とくにうつわ好きには たまらない美術館だ。
展覧会では 数々の素晴らしい作品を見て学ぶことができるのだけれど、美術館が入る帝劇ビルの建替計画にともない、今年12月をもって、しばらくの間、休館してしまうのだそう。
とのことで、今年4月から10月までの間、『出光美術館の軌跡 ここから、さきへ』をテーマに、4期に分けて、コレクションを代表する作品の数々が紹介されている。
私が訪れたのは第3期。
『出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅢ
日本・東洋 陶磁の精華
ーコレクションの深まりー』
作品は、第1章から第4章までのパートに分けて紹介されていた。
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第1章 ザ・ダイジェスト
会場に足を踏み入れると、まず中国・朝鮮・日本の陶磁器を代表する作品が並んでいる。冒頭でガツン!と出光美術館の凄さに魅せられるようだ。
そのうち2つは、今回の展覧会の “顔“ にもなっている。
第1章は、「ザ・ダイジェスト」とうたうだけのことがあり、そこに並んでいた8点すべてが、教科書に出てきそうな作品だ。
この章だけでなく、ここから先、4章の終わりまでずっと素晴らしい作品ばかりで、多くは書ききれない。
だから、中でも私がとくに印象に残ったものだけ記録することにしようと思う。
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まず縄文土器『深鉢形土器(火炎土器)』(日本 縄文時代中期)の迫力には、目を見張った。
火炎土器は、把手の装飾が、燃え盛る炎のように見えることからその名がついたそうだけれど、まさにメラメラと燃え盛っているようだ。
ダイナミックでエネルギッシュ。生命力を感じさせる。でも、文様は驚くほど精緻だ。縄文人の美的感覚に感嘆する。
(美術館HPでは画像がみつかりませんでしたが、毎日新聞の過去記事で写真を見ることができます。第4章でみる柿右衛門もこちらで。)
また今回のパンフ左、野々村仁清の『色絵芥子文茶壺」(日本 江戸時代前期)は、陶器に施した色彩がとにかく美しい。同じ色絵でも、有田などで見る真っ白な磁器に描かれたものと比較して、マイルドだ。重要文化財らしく単体でガラスケースに展示されていたので、ぐるりと2周して裏側までたのしんだ。
ちなみにどうでも良いことだけれど、私は美術館に行くとよくガラスにゴツンと、オデコやメガネをぶつけてしまう。目が悪いからか、夢中になって距離感がわからなくなるからか、とことんマヌケだからなのか理由は不明だけれど(たぶん3つめ。)、よほど気をつけていないと繰り返してしまうのだ。
以前それを側で見ていた友人から、美術館では常に人差し指を前に指して見ると良いのでは?(そうすれば、まず指にガラスがあたるから。)とアドバイスをもらい、それからは、なるべくそうするように心がけている。
もしも美術館で、お腹の前に人差し指を立てている人を見かけたら、それはきっと私ですのでよろしければお声がけください。
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第2章 中国陶磁
展覧会を訪れて、一つでも、後々 何回も思い出すような、琴線にふれる作品に出逢うことができれば、とてもしあわせだと思う。
私はこの第2章で、そんな作品にめぐり逢うことができた。
景徳鎮窯の、『桃花紅暗花団龍文太白尊 一対』(中国 清)だ。
今回の展示の中では、そんなに注目される作品ではなかったと思うけれど、私は吸い込まれるようだった。
なんとも深遠で美しい色。コロンと丸いフォルムが、艶やかに輝く。
一見とてもシンプルで、かつ気品にあふれている。
作品名にあるとおり、「桃花紅」という色(磁器)なのだけれど、私にはどんな名前もあてはまらないような、神秘的な色のように思えた。
作品の説明には次のように書かれていた。
なるほど。与えられた名は、いずれも「美称」だ。
中国では、赤く美しい釉薬を(日本よりも ずっと)追い求めていたのだなあと思う。
また、説明は次のように続く。
「暗花」とは、文様を浅く掘り、その上から釉薬をかけて焼成し、うっすらと文様が透けて見えるようにする技法だ。表面は平らで、文様には色がついていないため、一見すると無文のようにも見えるけれど、釉薬を通してわずかに丸い龍が見え隠れするのだ。なんと慎ましやかなのだろう。
私が大好きな十四代 今泉今右衛門の独自の技法である「雪花墨はじき」(白素地に白い文様がうっすら浮かぶ。技法は全く異なる。)を想起するような、奥ゆかしさを感じてしまう。
これが「一対」、つまり2つ並んでいるのが、愛らしさをも感じさせた。
高さはそれぞれ8.8㎝、8.6㎝のサイズ。
写真が見つからないのが残念。
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この第2章では、磁州窯の『白地黒搔落牡丹唐草文枕』(中国 北宋時代)も好き。白と黒のコントラストで描かれる 唐草文と牡丹文が美しい、陶製の「枕」だ。
素地にまず白土を塗り、その上から黒い釉薬をかけて、いちばん上の釉薬だけを削り掻き落とす「搔落」の技法によって描かれている。この技法による白黒の文様は、磁州窯の典型的な特徴だ。
和紙のような白土に、漆黒の文様がはっきりと浮びあがり、その意匠からはレトロモダンを感じる。中央の牡丹と、周囲をめぐる唐草文様が繊細ですてき。
こちらも残念ながら写真が見つからないのだけれど、色や形はこのような感じ、そして文様のイメージはこちらやこちらが近い(かな)。
それにしても、このような枕に頭をあずけて眠ったら、どんな夢をみるのでしょう。
…さて、まだ第2章だというのに、ずいぶん長くなってしまった。
余計なことを書いているからだけれど。
このあとは、あっさりいこうと思う。(たぶん。)
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第3章 朝鮮陶磁
この前、日本民藝館で観た朝鮮陶磁と比較すると、やわらかさは共通していたものの、ずいぶんと異なる空気感があった。
本展では、時代ごとに様々な技法を駆使し、美しくつくられる朝鮮陶磁に見惚れた。
最後の方で、龍の絵が描かれた壺が3つ並べられていたのだけれど、それぞれ表現の違いがあっておもしろい。まるで漫画のようだったり、淡くやさしげだったり。いずれも龍でありながら迫力や力強さのようなものをあまり感じさせず、作り手のあたたかさが伝わるようだった。
そしてやっぱり、染付(青花)は、墨絵のよう…。
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第4章の前に、特集1として「金工・銅器、漆器の精粋」、特集2として「茶道具の精粋」のコーナーがあった。
特集1では、中国の螺鈿や、日本の蒔絵にうっとり。
また特集2では、中国の掛物「漁釣図」(徐祚 中国 南宋時代)(重要文化財)に、しばしの間、見入ってしまった。寒々とした空気の中で、背を丸めて ぽつりと釣り糸を垂れるこの男性は、何を想っているのかしら。
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第4章 日本陶磁
待ってました! 日本のやきもの。
もう何を観ても、感動する。
最初に目に飛び込んだ 弥生土器からインパクトがあった。「朱彩壺形土器」の名のそれは、朱彩で縞模様が施されるだけでなく、弥生土器にもかかわらず縄文が装飾されていた。そのお洒落さに感心するとともに、時代や文化の移り変わりの、ゆるやかさを感じた。
その後につづくやきものも、みな心に響く。
日本のやきものの歴史の中で重要な役割を担う「猿投」を観れたのも良かったし、私が好きな「古伊万里」や「鍋島」も大皿などが数点あってうれしかった。仁清の作品が並んでいたのも、緒方乾山が並んでいたのもスペシャル感があってウキウキだ。仁清の作風の幅の広さには驚嘆したし、乾山・光琳兄弟合作の「銹絵竹図角皿」(江戸時代中期)を観たときには、なんだか得した気分にもなった。
それにしても、柿右衛門の大作には美の迫力を感じずにいられない。
陶工たちが神社に納めたという、大きくてカラフルな「色絵狛犬」(1692年 )や、今回のパンフ右・欧州からの里帰り品だという「色絵花鳥文八角共蓋壺」(江戸時代前期・重要文化財)などだ。
これぞ、世界にはばたく柿右衛門。
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最初から最後まで、計112点。日本や東洋の陶磁器の美というものを、シャワーを浴びせるように次々とみせてくれる展覧会だった。
第4期は、陶磁器ではなく書画の展示だそうだ。私は、書画は(書画も)全く明るくないのだけれど… きっとまた素晴らしい展覧会なのだろう。
会期は9月7日(土)~10月20日(日)。
行ってみたいな。行けるかな。
また長文になりました。
最後までお読みただきまして、ありがとうございました。
次は、戸栗美術館を訪ねます。
前回の日本民藝館の記録はこちら。