2024.7.1 雑記 深夜、文章への執着

小学生のとき、授業で書いた詩をクラスの代表としてコンクールに出したことがある。佳作。それでも私はすごく嬉しかった。とくべつみたいで、なんだか得意な気持ちだった。のはらうたのパロディとして書いた。自分じゃなくて、道端に生えている一本のたんぽぽに感情を移して、ただ思うままに書いた文が先生に気に入ってもらえて、コンクール用の新しい原稿用紙にもう一度書くことになって、佳作だったけど、コンクール作品集みたいな薄くて大きな冊子に載せてもらえて、ただ好きに書いたものを他の人にも好きになってもらえた気がして、すごく嬉しかった。
昔から本が好きで文章が好き。ファンタジーが好きだったけど、中学生の途中くらいからちょっとだけリアルな気持ちが書いてある本も好きになった。住野よるさんという作家さんに出逢って、住野さんの作品は全部読んだ。少しだけファンタジックで、でもリアリティがあって、柔らかくて仄暗い雰囲気で、好きだった。こういう文を書けるようになりたいな、と思った。
中学生の頃、密かな目標があった。毎年3年生が卒業するタイミングで全校生徒に配られる冊子があった。そこには各部活の紹介とか、クラスのページとか、部活動で表彰された人の作文とか、美術部の絵とか、先生の一言とか、そういうのが載っていた。その中に、俳句と短歌と詩が載る部分があった。毎年夏休みの課題に俳句と短歌と詩があって、そこで良かった作品が少しだけ載る。各学年10人いくかいかないかくらいしか掲載されてないけど、その分なかなか良い作品が多かった。1年生のとき、漠然と掲載されたいな、と思った。2年生、選ばれなかった。夏休みにふわっと思いつきで書いた俳句も短歌も詩も、先生たちに刺さらなかったらしかった。
その頃、私は町内会でもらったノートに思いついたことをどんどん書き連ねていた。その日の天気、その日の感情、俳句だったり詩だったり、とにかく頭のなかにそれらしき文が浮かんだら全部書いているうちに、ノートには荒削りの何作品かが並ぶようになった。3年生の夏休みまでまだ半年以上ある頃だった。この中から上手く書けたものを夏休みの宿題として提出しよう、と決めていた。
書いていくうちに、次第に過去に書いたものを推敲するようになった。言葉選び、行間、ひらがなか漢字か、こうやった方が頭の中の感情に近いんじゃないか、と思いつくようになった。そうやって推敲を重ねているうちに、夏休みがきた。
宿題用の原稿用紙を目の前にして、しばらくは手をつけられなかった。まだ推敲の余地があるように感じてしまって、結局8月の中盤くらいまではその宿題はやっていなかった気がする。こうして、半年以上あたためた文章を私は提出した。自信があった。自分で書いた文章ながら、結構良い出来だと思えた。今までの思いつきじゃない、ちゃんと推敲して思考を巡らせて書いた文章。
夏休み明けの9月、先生に呼ばれた。コンクールにこの詩を出したい、という話だった。自信がそれなりにあったから、意外と冷静に受け入れられた。コンクール用の原稿用紙に詩を書いた。小学生のあの日を思い出して、でもあの時よりもちゃんと考えて作った文だなと思った。結果は佳作。同じ佳作でも重みが違った。嬉しかった。
卒業式の前日、冊子をもらった。詩のページに私の名前があった。このページを必死に読む人が何人いるかわからないけど、それでも嬉しかった。

文章が得意なんだね、と言われる。実際はたぶんそんなことはない。それなりに時間をかけて書けば上手く書けるんだと思うけど、この記事も思いつくままに書いてるし、表現だっていろんな人の文章から盗んだり調べたりしている。人の文章からどんどんニュアンスを盗んで今の文体が出来上がっている。それでもやっぱり文章が好きで、文章に執着している。あの日書いた詩と、執着で書き溜めたたくさんの文章のせいで、今も文章に囚われている。自分の文も誰かの文も好きだ。この執着はきっと一生続くのだろうと頭に浮かんだとき、少しの呆れと浮き浮きした気持ちが同時にした。はあやれやれ。

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