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超次元的実戦川柳講座 その9「ぼくの大好きなクラリネットを破壊したのは誰か?」
基地の螢よ ボクの甘さの静かな怒りを
ボクの蛾は 亡父の鼻がボクの顔に飛びつき
狂者端座してボクに一万貫の頭脳がある
河は馬鹿だから ボクを流すと 流れ
鈴を買い ボクは神様だと思う
太陽は一つ 卵は二つある
中村冨二『千句集』より
どうも、川合大祐です。悲しいアニメ制作会社。悲惨ジブリ。ひさしぶり。いかん調子が戻っていませんね。殴ってください。
というわけで久しぶりの超次元的実戦川柳講座です。また「川柳の実戦的な作り方」を書いてゆきますんで、何卒よろしくお願いします。
で、今回やるのは「『ぼく/わたし』をいかに制御するか」というテーマです。
まあぼく/わたしに限らず一人称をどうやってコントロールするか、なんですが。
そもそも575のなかで「ぼく」とか「わたし」とか入れるな、って言われたことありません?(唐突な同意の求め方)。私はあります。「まず句を詠んでいるのは自分に決まっているのだから、いちいち自分のことを呼ぶな」ということでした。ちなみに私、祖父から言われました(唐突な個人的な回想)。
まあこれ一理あって、十七音に収めようと思ったら、そんな一人称なんて入れてる暇ないんですね。というか、確かに「ぼく」とか入れなくても「ああ、ぼくが言ってるなあ」ということは通用する。
これ、逆を言えば十七音という型式が「ぼく」という主体を保証しているわけで、ある意味それはあぶない。川柳という言葉の連なりが、ぼく乃至わたし乃至その他もろもろの主語を省略可能にさせるとして、これはその主体が、「いくらでも交換可能なものである」という構造を持っていることになるのです。
ちょっと整理しましょうか。これ、丁度いい例がないので、適当につくります。ほんとはこういうの講座としては卑怯なんですが。
(例)豆腐屋の豆腐くずしをぼくが見る
はい、ダメダメな句です。それは置いておいて「ぼくが見る」が必要かどうか、ということに重点を置いてお話しします。
「ぼくが見る」、これいらんだろ、っていうのが川柳の定石です。この句において、「豆腐くずし」っていうものを「見ている」のはこの句を発話した人間しかいないわけで、じゃあわざわざ「ぼく」って言うことはないじゃないか、っていう理屈です。
もっと言うと「見る」も要らない。「この情景」ってのが目の前で繰り広げられている以上、見ているのは前提としてあるわけだから、わざわざ「見る」って言う必要はない。と祖父が言ってました。1914年生まれの教えは重みがある(笑)。いやとっくに鬼籍に入ってますが。
ただねえ、って近親間ならではの反抗心を掻き立てますが、この「ぼくが見る」が要らない、ってドグマ、やばい問題を抱えてるんじゃ無いかと思って。また例えばですが、さっきの例句を添削するとしましょう。
(例)豆腐屋の豆腐くずしを縮尺す
はい、訳がわかりませんね。それはまたしてもともかくとしても、「ぼくが見る」が無くなっても句としては成立することがおわかりいただけたかと思います。というか、むしろ「ぼくが見る」以外の行動を入れるわけだから、句にプラスアルファが加わる。重層的になる訳です。あ、ただこの例句は適当に言葉並べただけなので、全く句としては屑ですよ。
で、「やばさ」って言うのはそこではなく、これが「句」として成立してしまう、その事実そのこと自体にあります。
「ぼくが見る」がなくても、「これを言った人」の存在が確かめられること。それは、句自体が、句の主人公を保証している訳です。句の構造がもたらす句の主体、とでも言っておきましょうか。
で、そうすると、「川柳の構造は、必ず〈ぼく〉を導き出すのだろうか?」という疑問が湧き上がってくる訳です。
二番目の例句を見てみましょうか。この場合、主体は「縮尺す」ってことをしている人です。
これが「ぼく」だと、普通は読めます。
だが、これが「あなた」や「彼」のことであっても、川柳としては成立してしまいますね。
いやこれほとんど言いがかりに近くて、もしも、という思考実験に過ぎないんだけれど、この句をたとえば「沢田研二」がした行為の句、と解釈して/あるいはその意味を込めて制作しても、論理的にはなんら破綻しないわけです。
句の構造によって主体が保証される、ということは、句の構造の読み方/作り方によって、主体がいくらでも交換可能であるということに他なりません。
つまり、「ぼく/わたし」という「句の主人公」は、それほど保証されたものではないのではないか? というのがこの講座での問題提起です。
ただ、この句の構造の解析、ということは今日ここではしません。この主体の分析、といった理論に関してはzoom講座「世界がはじまる十七秒前の川柳入門」で近々取り上げる予定ですので、興味のある方は参照してください。解析、という営みはこのzoom講座にまかせようと思います。
ですから、ここでは「ぼく/わたし」を制御するためにはどのような技法を使ったらいいのか? という「技法」に絞って話を進めてゆきます。
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