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お金に支配されない幸せとは

気付かないうちにお金に支配されている、と感じたことはありませんか?

私が公務員だった頃は、お金で何でも買える、時間も幸せも、人の心もお金しだいだと思っていました。

通勤時間に2時間近くかかるから高速道路を利用する、
ご飯をつくる時間がないから外食する、
仕事で疲れるからマッサージに行き、毒を吐きあいストレスを発散するために人と会う

お金を使うことには理由があり、それを許可する自分がいて、使うためにまた働く

上司からパワハラを受けても「給与のため」だと思うと我慢できたし
刹那的に美味しいものが食べれて、きれいな景色が見れれば、給与に感謝し
お金のトラブルで人間関係が嫌になれば、顔もみたくない存在となっていました。

介護を理由に公務員をやめたものの、このままで終わりたくない気持ちを止めることが出来ずに、税理士登録をしたんですが、介護と両立ができるような仕事を見つけるのは容易ではありませんでした。

介護をするための時間が最優先され、自分の時間を確保できない、
時間が取れないから稼げない、
稼げない自分はダメな人間
だから、何とかしようと試行錯誤をするようになるんですが、

ビジネスができないのは無知だからだとインプットにお金と時間を費やし、
今までとは違う交友関係を構築するために色々な場所や講座に参加し、
良いと思えば手をだし、違うと思えば手放しを繰り返し、
結果、自分がお金に支配されていたことを知るのに、かなりのお金を使っていました。

そして、お金に支配され、執着していた自分を知ると、両親の介護が嫌だった理由も、兄や兄嫁に怒っていた理由もわかりました。

稼げなくても楽しみたい、でも、そこには罪悪感が生まる
だから、稼ぎたい、
でも時間が制約されていて稼げないジレンマ

稼げないとダメなのか?
稼げないと幸せになれないのか?

心の学びやビジネスをするのに邪魔をしているビリーフ(価値観や思い込み)を学んでも、知ったからといって、幸せにはなれるはずもなく、人の価値観や知識の中で自分を当てはめようとして、また苦しむことになりました。

幸せになるってそんなに難しいことなの?

何もしない日、人に会わない日はストレスもなく終わっていきます。
でも、そんな日を幸せだと言えるのか?
何をしている時が幸せなのか、自問自答が続きました。

ある日、介護の仕事をしている21歳の娘が人間不信になって、食べることも、寝ることも、親と会って会話することもできない状態になったんです。

その時、娘にかけた言葉が「人は幸せになるために生まれてきたんだから、幸せになる道を選択して欲しい」でした。

それから3カ月、娘は自分のこれからのために仕事を辞め、研修を受け、県外で就職先を見つけてきました。

見ている私も辛いくらいだったのに、娘の出した答えは「命を預かる大変な仕事だけど、やっぱり介護の仕事を続けたい」だったんです。

給与が安かろうが、嫌な人がいようが、腰や手首が痛くなろうが、夜勤の仕事もあって時間も不規則だろうが、そんなことは、彼女が介護現場を離れる理由にはならないらしく、何冊もの専門書や資格をとるための参考書を買って引っ越していきました。

もちろん、愚痴の電話もかかってきます。
でも、最後には「大丈夫、介護現場は沢山あるから場所は変わるかもしれないけど、介護の仕事は続ける」と宣言するんです。

娘が自分の心に忠実に生きていることを誇らしくも羨ましくも思います。
お金とか時間とか人間関係とか、そんなものではなく、やりたいからやる、その純粋な気持ちで動けていること、それが幸せだと教えてもらいました。

もちろん苦労はありますが、その苦労さえも、ポイ捨てできるくらいに自分の選んだ道を疑わずに進んでいける姿に、安心し、心からその職業に縁があって良かったなと思います。

お金で味わえる幸せも大事だけど、幸せだと感じる生き方を選択したい。
それを、娘から教えてもらえるとは思いませんでした。

お金に対する価値観は、お金をどう得るか、どう使うかにも影響します。
いつのまにかお金に支配されていた、そんな生き方はもうしたくないなと思います。

お金に対する価値観って、わかっているようで、わかっていない
自分のことがわからない、の代表のようなものだと思います。
それが、大きく経営に影響する、税務調査で追徴される原因となる場合があります。

興味がある方は読んでみてください。


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