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自分のやりたいことから目をそらしていませんか?

こんにちは

未来書き換え自分年表認定講師の
宮崎貴美子です。

突然ですが
自分のやりたいことから目をそらしていませんか?

実は以前、私は、
仕事に対してもプライベートでも
こんなこと本当はやりたくない、と思いながらも

自分がやりたいことは出来ないのは
母親だから、仕事をしているから仕方ない
出来なくて、当たり前だと思い込み
不平不満ばかり口にしていました。

それが、あることをきっかけに
私のボスは私
やりたいことをしたいと叫んでいる心に
忠実に選択することができるようになったんです。

今日は、
私がなぜ
自己否定と自己犠牲を手放しことができ
やりたいことができるようになったかをお伝えしたいと思います。

もしかしたら、
自分のやりたいことから目をそらし
やりたいことができずに
モヤモヤしている方のお役に立てるかもしれません。

是非、最後まで読んでくださいね。

まずは、幼少期の頃の話をしたいと思います。

私の母は
小学校の先生だったんですが
勉強ができない子はダメな子だと
言われて育ちました。

物心ついた時から母からは
本を読みなさい賢くなるから

習字を習いに行きなさい
字は人を表すというから

ピアノを習いなさい
教養の1つよ、と

母の理想とする子に育って欲しくて
色々なことを求められました。

でも、私はそんなのしたくなかったんです。
本を読むよりはテレビを見るのが好きだったし
習字もピアノも、帰りにお菓子をもらえたので通っていました。

幼稚園から帰ったら、家の横の雑木林を探検し
庭にお菓子を置いて蟻の行列を観察し
一人何役のおままごとを得意とし
自作自演で歌いながらピアノをひいていました。

天真爛漫な子どもらしい子どもだったと思うんですが
母は、そんな私に対して
言うことを聞かないどうしようもない子だと言い
顔を見るたびに怒られていました。

本を読まないと立派な大人になれないと言われても
立派な大人の意味がわからないし
なぜ、自分がしたいことをできないんだろうと
なぜ、母は怒るんだろうとずっと思っていたんです。

小学校に上がると
テストで100点とれないことや通知表の評価が低いことで怒られる
誰もしないトイレ掃除を頑張って先生から褒められても母は褒めてくれない

遠くまで自転車で遊びに行っているのがばれて
危ない、事故るよと怒られ
ピアノの練習も約束の勉強もしていないと怒られ
そんな暇があるなら、本を読みなさいと怒られる

児童合唱団に入りたいとお願いしても
そんなの行かなくていい塾に行きなさいと言われ

ちっとも私がしたいことをさせてくれなかったんですね。

進路についても
進学したい学校は否定され
親が行って欲しい学校を受験し
失敗すると親不孝だと言われ

女性が働くなら公務員が一番良いからと
それ以外の選択肢はないと言われ公務員になりました。

親に反抗することも許されない
優秀な兄と常に比較され
劣等感と一人では生きていけない恐怖を刷り込まれた結果
自分で決めることをしない大人になっていたんです。

親のいうとおりにしておけば怒られない
上司のいうとおりにしておけば怒られない
声の大きい人に従っていれば嫌な思いもしない

それは私にとっての処世術でもあり
一番楽な生き方でもあったんですね。

でも、何かが違う
母が言うことがいつも完璧で正しいわけでもない
上司の経験値が誤っている場合もある
声の大きい人は無責任で自己中なだけだった

それでも、自分ができることを精一杯することで、
誰かに認めてもらいたくて「役に立つ人」だといって欲しくて
自己犠牲を払ってでも他人のために生きてこそ価値がある
それが私の生き方だと思っていたんです。

その考え方は、本当に孤独で辛いものでした。
自分で自分を追い込むように
何でも自分で抱え込み
頑張りすぎた結果、心が壊れてしまったんです。

カウンセリングに通い始め
自分の気持ちが見えなくなっていることを知っても
気持ちと向かい合うこともできずに
何がしたいのかもわからずグルグルしていました。

そして
娘の緊急手術、母の入院が重なり、介護が始まると覚悟した時
仕事との両立を、心が拒否したんです。

職場に行こうと思うと足が動かなくなったり
電車に乗ると涙が止まらなくなったり
辛くて苦しい、気づかないふりをしていた気持ちが
身体を通して教えてくれて、やっと決心したんです。

仕事を辞めると時間に余裕ができ
苦しみから解放されたようでした。

介護をしながら、今までできなかった家事をし
天気の良い日にお布団を干す気持ちよさを味わったりしたんです。

それでも、
私が何をしたいかは見つからず
カウンセリングを受けながら自分探しの旅が続きました。

介護を通して
いかに両親とコミュニケーションをとっていなかったかがわかりました。
些細なことで、両親と衝突し
死にたいと繰り返す母の精神的な弱さを支えることもできず

このまま一生母のいいなりで、振り回されるかと思うと
私は何のために生まれてきたんだろう
私がしたいことは何だろう、
このまま何もせずに自分の人生を終わらせたくないと強く思ったんです。

それから、自分に目を向けるようになりました。
まずは、好きなことを探し
行きたいところに行き、会いたい人に会い
やってみたかったことを、思いつくままに全部やってみました。

そして、やっぱり仕事がしたいと思い
税理士の登録をし、税理士としてできること、やってみたかったことを
手当たりしだいにチャレンジしみましたが
満足感が得られず、辞めようかと思うことも何度もありました。

親の介護をしながら、あいまで仕事をしていくことの難しさ
コロナ禍の中で、仕事のやり方や人の価値観の変化への対応の難しさ
コロナ禍が明けても、日常は戻らず、変化した環境への順応することの難しさ

沢山の感情と向き合い、試行錯誤を繰り返し、もがいているときに
「未来書き換え自分年表作成講座」に出会いました。

その内容は、現在の自分の価値観が
幼少期の両親から与えられた価値観から
作られているというもので、
それをリミッティングビリーフと呼ぶのですが、

自分の幼少期を見つめなおすことで
自分の価値観がどのように生まれ
自分がどのような制限の中で苦しんでいるのかがわかる講座でした。

やりたいことができなかったことを
仕方がないと諦めていた私

誰かのいう通りにしていれば
怒られないし、嫌な思いが少なくてすむと思い込んでいた私

それでも
誰かの役に立つことが私の喜びで、
私自身の喜びよりも、人の喜びを優先すべきだと
これが私だと思ってきたことが、誇らしくも思えたんです。

誰かの役に立ちなさい
人が喜ぶことをしなさい
それができることは幸せなことだから、と
母の言っていた意味もやっとわかりました。

そして
自分も人も大切にしながら
誰かの役に立つことができるように生き、
それができるように育ててくれた母に
感謝の気持ちが生まれました。

すると、
誰かのために、私が好きなことを
私が楽しくやること
それが私を大切にすることで
私らしく生きることだと気づき

誰かのために、好きなことにチャレンジし、追求し
時間も忘れて夢中になっている状況や
クライアントさんの笑顔が見れた時に
私の気持ちがとても満たされていることに気づいたんです。

そこには
自己犠牲を払って嫌々している自分はおらず、
私のボスは私だと
やりたいことをしたいと叫んでいる心に
忠実に選択することができる自分がいたんです。

もしも以前の私のように、
自分のやりたいことから目をそらし
やりたいことができずにモヤモヤしている方へ

未来書き換え自分年表で、リミッテイングビリーフを整理し
親の思いと自分の気持ちのずれを知り、書き換えることで
マイナス思考を手放し、欠点だと思っていたことが長所だったことに気づくことで、自分らしく生きられるようになった、変われた、ことを伝えたいです。

人はいつでも変われます。
突破口は自分で見つけられるし、開けられます。
やりたいことは自分が知っていて、見ていないだけです。

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