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頑張りすぎずに誰かにヘルプを求めてみませんか

こんにちは
未来書き換え自分年表認定講師の
宮崎貴美子です。

皆さんは、
人にヘルプすることができずに
自分で何もかもしなければならないと
抱え込み辛い思いをすることはありませんか。

実は、私は、
人に助けを求めてはいけないと思い込んでいたので
どんな辛い状況でも、孤独でも
一人で沢山のことを抱え込み、
とても苦しい思いをしてきました。

ですが、最近、私は、あることがきっかけによって
一人で何とかしなければならない気持ちから解放されたことで
考え方が変わり
ヘルプを求めることができるようになったんです。

今日は、
ヘルプを求められなかった私がなぜできるようになったのか
その変化や経緯をお伝えしたいと思います。

以前の私のように、人にヘルプを求めることが出来ずに
一人で抱え込んでしまい
苦しい思いをしてしまっている人のなにか変わるきっかけになるかもしれません。
是非、最後まで読んでみてくださいね。

私は幼少期から母に
人に迷惑をかけてはならない
自分でなんでもしなさい
と言われて育ちました。

母は小学校の先生で、とても忙しい生活をしていて
朝は私よりも早く家を出て、
幼稚園から帰ってきても、母は家には戻っていない状態でした。

そんな母がやっと帰ってきたと思って
私が「あのね、今日ね」と話しかけようとすると
「今忙しいから後で」と言われ
いつも寂しい思いをしていたんです。

帰宅後の母は
家事と持ち帰ってきた仕事に追われていて、
私にかまっている余裕はなかったんですね。

ある日、幼稚園バスから降りた時に
一緒に遊ぼうと誘ってくれた友達がいたんです。
その誘いは、いつも独りで寂しく遊んでいた私にとっては
とても嬉しくて、直ぐに遊びにいくことにしたんです。

その子の家では、その子のお母さんがお菓子を用意してくれていて
その友達と友達の家で遊んだことが本当に楽しかったので、
その出来事がどんなに嬉しかったかを母に話したんですよ。

すると、母は思いもよらないことを言ったんです。
その子の家に行ってはいけない、
一人で遊べるでしょ。

だけど、私は、家にいても一人で寂しい
一人何役ものおままごとをしても楽しくない
一人で塗り絵をしても楽しくない
だから、その子と遊びたくて、遊ばせて欲しいと母にお願いしたんですが

一人でその子の家に行くまでに
事故に遭ったら危ないでしょ
といって許してくれなかったんですね。

それならお母さんに一緒に遊んでよとお願いしてみたのですが、
仕事があるから遊べないのはわかっているでしょうと言われ
じゃあ、私が行けないなら
家に来てもらいたい、家によんで一緒に遊びたいとお願いしたんです。

すると母から返ってきた返事は
お菓子も準備できないし、お世話もできないし
家の中が散らかることもイヤだから
家に連れて来ないで、と言われたんですね。

これをきっかけに、母は寂しい思いをしている私を助けてくれない、
母に助けを求めても、私の願いを叶えてくれないと思うようになったんです。

そして、母は自分ができることで遊べばいい
本を読むとかピアノを練習するとか
沢山一人ですることはあるでしょと言って
友達の家に行くことも、家に来てもらうことも許してもらえませんでした。

幼いながらにも
母が言う「人に迷惑をかけてはいけない」には
母も入るんだと感じました。

今日一日の話を聞いて欲しいとお願いするのも
一緒にお風呂に入りたい、同じお布団で寝たいと言うのも
母が眉間にしわをよせ、後で、という度に
迷惑なんだろうなと思うようになりました。

人に迷惑をかけてはいけない
自分でなんでもしなさい
この母の口癖は色々な場面で
私のやりたいことにストップをかけました。

そして、母の顔色をみて
母が迷惑だと思っているかどうかを
判断するようになったんです。

小学生になり、児童合唱団に入りたいとお願いしたときも
一人で通えるから母に迷惑はかけないと思っていたんですが
夜遅い時間に帰ることがどんなに危険かと話され、
結局、心配かけることも母は迷惑なんだと学びました。

もし、夜に一人で帰っている時に
大人が声をかけてきたら
走って逃げることもできないでしょ
いたずらしようとする悪い大人もいるのよ

すぐに助けに行くこともできないし
一生消えない傷を作るかもしれないから
そんな危険な目に合わせられないと言われたんです。

その結果、
可愛い制服を着て歌う姿ではなく、
危険に巻き込まれて泣いている姿が浮かび
児童合唱団に入ることを諦めました。

人に迷惑をかけてはいけない
自分でなんでもしなさい
という考え方は大人になるにつれ
自分で出来ないことはしてはいけないに変化しました。

娘は2歳頃から喘息の発作でると
その度に、入院するようになり
私も一緒に病院に泊まることになるんです。

夫は単身赴任中だったり、出張が多い部署にいたりで
交代で病院に泊まってもらえない状況でした。
私が病院から仕事に行けるわけではなく
任された仕事ができないことに悩んでいました。

その時の上司からは、心配しなくても大丈夫だから、
子どもが元気になったら、また頑張ってくれたらいいからと
退院後も気持ちよく働く環境を整えていただいた頃、
今までよりも残業の多いところへの異動の打診があったんです。

そこはあこがれている部署で、残業も多いところでした。
母に保育園の送り迎え、ご飯の準備もお願いしていて
申し訳ないと思いながらも、挑戦してみたい気持ちもあったんです。
評価してくれた上司の気持ちに応えたい気持ちもありました。

しかし、もちろん、母からは猛反対され、
子どもが可哀そうだから手伝っているけど
公務員なんだから、残業のない仕事を希望しなさい、
やりたい仕事、出世なんてどうでもいいと言われたんです。

それから、
母にできるだけ迷惑をかけないような
残業の少ない、泊りがけの出張の少ない
そういう仕事を希望するようになりました。

それでなくても、異動が多い職場で
通勤に2時間近くかかる場所もあり、
子どもたちの食事のこと等は
母にお世話にならざるを得ない環境が続きました。

そして、やっと
子どもが母の手を必要となくなり
これから、自分のやりたい仕事を希望できるとなった頃
母が圧迫骨折で入院することになったんです。

子育てが終わったら介護
父の世話、母の退院後の生活のために
色々なサービスを受けてもらおうと思って話しをしても
母はサービスを受けることを全て拒否したんです。

親の手を離れていく子どもと反対に
どんどん出来ないことが増え、精神的にも不安定になっていき
今まで支えてくれる存在だった母が壊れていく様子を見て
私が支えなければならないと仕事を辞める決心しました。

そして、仕事を辞めたんだから、
介護で人に迷惑をかけてはいけない
自分でなんでもしないといけないと
自分を追い込むようになっていったんです。

老いるということ、認知症を理解できない私は
いつも母に怒りをぶつけるようになりました。
そして、優しい言葉をかけられない自分がイヤになり
私が死にたいと思うほどになったんです。

カウンセラーに通う回数も増え、
幼い頃から母から愛情をもらえなかったこと
賢く、理路整然とジャッジする母の言う通りにするしかなかったこと
自分らしく生きられなかったのは母のせいだと思うようになったんです。

そして、仕事を辞めて、5年目に、やっと、
これから先も親に束縛されて生きたくない
このまま私の人生が終わるのがイヤだ、
助けて欲しいと口に出すことができるようになりました。

それから、娘や介護の専門職の方に相談できるようになったんです。
母の性格や考え方も理解してもらえるように、スタッフに積極的に話をしたり
私がお見舞いに行けない時は娘に行って欲しいとお願いしたり
人にヘルプをすることで、かなり精神的に楽になりました。

その結果、スタッフさんとのコミュニケーションが図られ、
母の様子を積極的に話してもらえるようになり安心感が生まれ、
娘が会いに行くことで、母が喜んでいる姿を嬉しく思えるようになり
一人で抱え込まない方がむしろ良いと思えるようになったんです。

それでも、私ができることはしなければならないという思いは
捨てることが出来ずに、優先順位は母が一番上でした。
母からの電話1本で、
しなければならないスイッチが入るんです。

そして、
私がやりたいことは後回しになり、
またグルグルするようになったんです。
その時に「未来書き換え自分年表作成講座」
に出会いました。

その内容は、現在の自分の価値観が
幼少期の両親から与えられた価値観から
作られているというもので、
それをリミッティングビリーフと呼ぶのですが、

自分の幼少期を見つめなおすことで
自分の価値観がどのように生まれたのか?
自分がどのような制限の中で苦しんでいるのか?
がわかる講座でした。

人に迷惑をかけてはいけない、自分でなんでもしなさい
という母の口癖に縛られている自分がそこにいる、
リミッテイングビリーフを理解できれば、
私は母から解放され、変われかもしれないと思ったんです。

受講し、幼少期から成人するまでを見つめなおしていくと
その時の気持ちが蘇ってきて、母の口癖に縛られている理由が
見えるようになってきました。

母がどうして価値観を押し付けてきたか
母の口癖には理由があったことに気づいたんです。

戦後の貧しさの中過ごしてきた母は
祖母から、人に迷惑をかけてはいけない
自分一人で生きていけるようになれ
と言われて育てられたと聞いたことがあります。

戦争で親を亡くした身内も、助けてあげられない時代で
生きていくために、親と妹たちを養うために稼がなければならない
そのために勉強し、教師になった母は
誰にも助けてと言えず、自分でなんでもしてきた人でした。

1日の大半を学校で過ごし
家に帰っても、家事と持ち帰った仕事をしていた母に
ゆっくり子どもと話す時間はなかったし
母の代わりができる人もいなかったんです。

時間に余裕のない生活の中で
子どもの気持ちを尊重してあげられないことは私にもあったし、
人に迷惑をかけてはいけない、自分でなんでもするようにと
私も子供たちに言い聞かせてきたことを思い出しました。

それなのに私は、どうせ母は
親だから、子どもを自分の思うように操作するんだ
親だから、束縛してもいいと思っているんだと
愛情のない酷い親だと決めつけていたんです。

未来年表で時間をかけて自分と向き合ったたことで
人に迷惑をかけるような人にならずに
きちんと生きてこれたのは母のおかげだと知り
母に感謝の気持ちが生まれたんです。

また、老いること、認知症になることは仕方がないことで
その事実を受け入れられないから苦しい
わからないことは知っている人に聞けばいい
助けてもらおうと思えるようになったんです。

ヘルプをすることは、人に迷惑をかけることではない
考え方を変え、ヘルプを出し、人に助けてもらえることで
母が喜ぶ姿がみれて、嬉しい
そこにも感謝の気持ちがでてきたんです。

私がヘルプをした人にいう「ありがとう」と
母が私にいう「ありがとう」は
同じ気持ちなんだと思えるようになりました。

もしも以前の私のように、
人にヘルプをすることが出来ずに
なんでも抱え込んでしまい
苦しい思いをしている方
がいらっしゃったら

未来書き換え自分年表で、
リミッテイングビリーフを理解し
親の思いと私の気持ちのずれを整理できれば
考え方も生き方も変われることを伝えたいです。

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