閏年さえなければ

[1]閏年
 なんでよりによって今年が閏年だったんだろう。あまりに目に余る業務態度から、二月末に契約非更新になった職場のお爺さんと顔を突き合わす日が一日増えてしまった。
 触らぬ神に祟りなし、周りは耳を澄ましながら背景に溶け込む中、荒ぶる老神と、全ての祟りを一身に受ける僕と、本日も悶着を繰り返していた。

 「結局、私のどこがダメだったのか教えてくれませんか。知識はあったと思うんですよ。」

 「知識は確かに一定はお有りだと思います。しかしですね、知識の引き出しを開ける前に、なんというかですね、人として基本的な部分を見直した方が良いと思います。」

 「そうですか、知識はあるんですけどねぇ。」

 「その知識を使う前に、人としての配慮とか、協調性とか、基本的な整合性とか、今僕を別室に連れてきてこうやって時間を使っている事実とか、これまでお伝えし続けてきたことを是非見直してほしいと思います。こうやってお伝えすること自体、勇気の要ることではあるので。」

 「そうですか、次の職場では知識を使えるように頑張りますね。」


[2]アメーバ
 全く話が噛み合わないまま、最終日が終わってしまった。会社を出た途端、もう二度と顔を合わせる必要がないと気持ちが晴れるかと思っていたのに、僕はとても悲しくなっていた。
 心に霞がかかっていた。時間と、言葉と、労力を使っても、お爺さんは変わることがなかった。むしろ踏み込めば踏み込むほど、更に意固地になって延々と噛み合わない質問を僕に投げかけてくるお爺さんに、僕は底なし沼にはまっていくような感覚になっていた。
 人の心にアメーバのように入り込み、他人の善心と時間を無限に侵食する。最後の一週間は、頭痛と、酷い疲れと、脳が焼ける感覚と、うっすらとした吐き気に悩まされていた。
 二十代に経験したあの時の感覚とよく似ていた。これが続かなくて本当に良かった。閏年さえなかったら、もう少しダメージが抑えられていたかもしれない。
 今回は何とか終えることができたけれど、今後の人生でまた、こういう類の人とは出会うのだろう。その時のために心の自衛を、強化しておかないといけないな。世の中は思ったよりも自分勝手だし、大好きな身の回りの人たちは本当に優しい。

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