誰かの不誠実

[1]苦ではない
 最近仕事が苦ではない。どうせ辞めるんですが、どうしてみんなこんなことで責任逃れしたり、不誠実だったり、権力に縋り付いたり、不満を垂れ流してるんだろう、と思っている。
 火のついた爆弾をたらい回しにしているような、本当に多くの人は責任を持ちたくなかったり、行動を起こさないまま甘い蜜を吸ったり楽したりしようとする。丁寧に暮らしているように見える人からちらっと覗く不誠実さや、知らぬ存ぜぬの心理をできるだけ肌で感じ取りたい。そう思って行動しているうちに、そんなに仕事が苦ではなくなってきた。
 前まで苦だったのは、そんな不誠実さに打ちのめされていたから。今は「人ってこんなに責任取りたくないんだぁ」と感じるたびに、腹が立つとかそういう感情はなく、人の行動原理や、みんなの頭の中ってこんなに整理整頓されてないんだ、と透けてみえることが単純に興味を引き立ててしまっている。今後、良い文章を書くための経験だと思ってみると、案外良い時間を過ごしているのかもしれない。

[2]嘘の握手
 「直感」という言葉があるけれど、「この人は仲良くなれないかも」「あ、良いかも」と感じる瞬間がここ数年で格段に早くなった。それはここ数年で「正直に生きること」「誰かの不誠実と闘うこと」の二つを実践して養われた力だと思う。
 僕はかつて転職した会社の社長が「他人の人生を平気で潰すヤバい人」であることを瞬時に見抜けなかった。当初は笑顔に愛嬌のある社長にしか見えなかった。
 それは、ホワイト企業のブラック部署で心を病んで辞め、その後転職した先がまさかそれ以上のブラック企業だとは思わなかった心の油断からくるものもあるけれど、僕自身人を見抜く力が足りなかった。逆に社長の人を欺く力が甚大だったこともあるけれど、ともかく自分の力が足りず、心を殺した時間を過ごさねばならなかった。
 ちらっと覗く誰かの不誠実さや嘘臭さは、自分が正直に生きないと見えてこない。自分が不誠実であればあるほど、誰かの不誠実は同じ色に見える。会社という沢山の不誠実が重なる場所で、人として正直に生きる。しばらくはそうやって、誰かの不誠実と向き合うことで、鏡のように自分の人生を映してみようと思う。

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