続・捨てなければ前に進めない

[1]定期券は捨てなさい
 「まだまだ捨てるものはあるよ」名古屋の地で半年分の大阪の区間で使う定期券を無くすという荒技を披露してしまった。落ち込みつつ一息落ち着いてから考えてみると、神様に「まだまだ捨てるものがあるよ」そう言われた気がした。
 去年も、こだわりであったりお金であったり、ある種の人間関係であったり、色々なものを喜んで捨てて、人の為に使い、前に進んできたつもりだったけれど、「あなたはまだ捨てた気になっているだけで、現状はなにも変わっていないでしょう?」と神様から突きつけられてしまった。
 確かに、本当に変えたい週5日の平日の暮らしは何も変わらず、むしろ心に土足で踏み込んでくる図々しい人にどんどん関わらなければならず、自分の心は疲れていく未来が見えている。見えているのに、その週5日を甘んじて受け入れていれば生活できてしまうので、思考を停止して受け入れている。そこに天からツッコミが入ってしまったのだと思った。
 本当に変わるためにはもっと捨てなさい、と。今年は自分の生活のみならず、母の生活もなんとかしてあげたいと思っているので、神様も少し本気で僕に詰め寄ってくれている気がした。まあ、明日ちゃんと忘れ物センターには問い合わせをしますが。
 気休めの文章を、気休めに終わらさないようにしないとな。

[2]絵に描いた餅
 バンドを組んでいて良かった。というか、ガストバーナーのメンバーが色んな方向にぶっ飛んでいるお陰で、レコーディングが「人生のあり方」の話から始まってしまったりする。ZOOZとは、また違った面白さがある。
 定期券を無くす前だった僕は、偉そうに「ブラック企業だった時はこうでした、ああでした」と語って、人生のあり方をちゃんと模索していますよ感を出していたし、なんならメンバーに偉そうにアドバイスしていた。
 しかし定期券を無くしたくらいでこんなにも揺さぶられてしまうほど、僕は弱かった。それはお金の問題ではなく、いや、お金の問題でもあるけれど、本質は今の生活が安定しているという無意識的な優越感にあった。
 今の生活が最善とは思えないので、いずれ仕事を辞めて田舎で暮らしながら生計を建てるだろうなんて、頭で考えているけれどその内実は絵に描いた餅と同じだった。
 明日もどうせ、22時まで働く。そして図々しい人に心を蝕まれる。しかし悔しいかな、その分生活は安定する。絵に描いた餅のような暮らしがいずれ自分にもやってくると、買ってもいない宝くじに期待するような生活を、これからも僕は続けるのだろうか。
 そんな内省をしているうちに、近鉄電車は難波駅に到着した。いつも難波から乗り換える電車で使う定期券は名古屋で無くした。しかし無くしたお陰で、こんなに自分の未来のことを改めて考えるきっかけになるものだから、物をなくす経験は捨てたものじゃなかった。しばらく荒れた季節は続きそうだ。

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