人が倒れている

[1]徘徊
 近鉄電車に乗るため難波駅に来てみると、駅の改札付近で男性が倒れていた。階段から転げて頭を打ったのだろうか。すでに5名ほどの駅員が男性を取り囲んで、微動だにしない男性の周囲に霧を振りかけたり、声をかけたりしていたようで、できるだけ事態を穏便に運ぼうとしていた。
 間もなく救急隊員がやってきて男性は担架に乗せられていったが、ちらと見えた男性の全体像から察するに、見覚えのある、ほぼ毎日大量の荷物を抱えて難波駅周辺を徘徊するご老人だった。
 あれから1週間、その男性を全く駅で見かけなくなった。生きているのだろうか、亡くなったのだろうか。たまたま僕がその男性が倒れているのを目撃したから引っ掛かりができてしまっただけで、目撃していなければ、日々の風景から人が一人消えてしまうだけなんてことは、全く気づかなかっただろう。

[2]肥大化
 自分が死んでしまったとしても、倒れたご老人と同じように、居なくなっても変わらず難波駅は人で溢れているだろうし、ドラえもんもクレヨンしんちゃんも毎年映画を発表するだろうし、とりあえず隕石がぶつかったり地球が滅びない限りはこれまでの日常は続くだろう。
 倒れた男性を思い返しながら、自分の人生を大切にするあまりに、自分という存在を肥大化させてしまってはいけないなと思っていた。所詮僕も沢山いる人間のうちの一人なので、楽しく生きて、楽しく死んで、どこかのタイミングでささっと日常から消えないといけない。恨めし幽霊になっちゃいけない。
 ただ毎日が楽しければ楽しいほど、死ぬことに対する恐怖は膨らんでいく。それはありがたいことなのか、憂うべきことなのか、そんなことは死んでみないと分からないけれど、腕の血を吸う蚊をデコピンで弾いて気軽に生命を奪っておきながら、自分の命のことばかり考えていた。

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