いつか死ぬから

[1]のんびりを許さない
 久々にこの感覚に襲われた。年始から働けど働けど忙しさは増すばかりで、いくら急いでも、優しくしても、残業しても、追い立てられるように仕事が襲って、余裕がなくなるこの感覚。危ない。
 「なんでこんな頑張っているのに」という思いは少しずつ「自分はこんなに頑張っているのに、なんで周りはこんなに適当で、自己中で、我儘で、のんびりしているんだ」という不満に変化する。
 これを更に放っておくと「自分は毎日遅くまで全力で働いて家に帰ったらもう何もできなくて脳がビリビリ痺れて、明日の仕事のために横になって眠ることしかできないのに、なんで周りにいる自分中心でのんびりして時間を無駄にしている人が活き活き人生を謳歌しているんだ」と悪化する。
 ここまで悪化してしまうと、仕事が忙しければ忙しいほど、疲れているほど、自分が追い詰められていればいるほど、全ての不遇、全ての辛さが他人を責めたてる正当性という凶器になってしまう。これは非常に危険。
 悲しいかな、ブラック企業にいた経験が皮肉にも役に立って、僕は年始からの仕事の波を「こんなに頑張ってるんだから自分を責めちゃだめ☆なにか失敗したら上司が全部悪いのよ☆」とヘラヘラして乗り切ることで、のんびりした他人を責め立てずに済んでいた。

[2]いつか死ぬから
 心に余裕がなくなったり、人生に迷った時、寝る前布団の中で「いつか死ぬから、自分を、周りを大切にしよう」と思いながら深呼吸するとそれなりに眠れることもある。そんなことを考える余裕がない時の方が多いけど。
 心に余裕がなくなって、大切な人からの言葉に刃向かってしまったり、腹が立ってしまったりするのは、落ち着いた頃に振り返ってみると自分も相手も「どうせ死なない」と思っているからだったりする。
 世の中に潜むあらゆる死の可能性は仕事の忙しさに掻き消されてしまい、その結果、他人を攻撃しても仕方がないというマインドが生まれてしまう。
 「自分も相手も、電車に乗り合わせた全ての人も、いつか死ぬから、そんなに今つんけんしなくてもいいじゃないか。どうせ死ぬんだから、そんなつまらないことに腹を立てても仕方ないじゃないか」
 ブラック企業にいたとき、そう思えれば良かった。そう思えればもっと早く自分を大切にして、怪我が浅いうちに辞めることができたのにな。まぁ、それも経験か。
 当時、お昼ご飯だった予定のお弁当を忙しさ故に食べる時間が取れず、夜に公園のブランコで泣きながら食べた日のことを思い出しながら、そういう日もあったおかげで少し優しくなれたけど、無い方が良かったなと思う僕だった。来週は寒いらしいですね、夜の公園でお弁当を食べない方が良いですよ。

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