残らないものを抱き抱える

[1]本の匂い
 圧倒されたかった。大学生の頃、図書館が好きだった。本が好きだったわけではなく「図書館」という建物が好きだった。
 許可を貰わないと入れない、日中誰も踏み入れない地下の更に地下へ潜り、電動書架を動かし古い紙の匂いに満たされた通路を入り、自分の動く音しか響かない静寂に包まれたなかで、論文に必要な本を探す。
 天井までびっちり並べられた本の一冊一冊に、著者の人生が詰まっている。僕の取り掛かっていた論文の特性上、本棚に並べられた本の著者は全てこの世にいない。そんな人達の必死に生きた跡や思想や人生や時代が、一度に襲ってくるような息苦しい感覚が図書館には存在した。
 僕がいずれ本を書けば、流れるような時代の一部になるのかもしれない。そして本棚に並べられて、後の時代に誰か物好きが勝手に本を開いて、僕の言葉が誰かさんの人生に流れ込むのかもしれない。それもまた浪漫があるなんて、大学生当時は考えていた。
 それはある意味「死んだ後も生きる」ことなのかなぁ、と考えていた。

[2]残らないもの
 バンドがレコーディングする、音源を出す、という行為はある種「死んだ後も生きる」ことに近い部分がある。勿論それが全てではないけれど、何かその時の表現を真空パックにして残しておくという所為も僕はたまらなく好きだ。
 一方ライブはその日限りで、そのほとんどがさらさら流れて次々過去になっていく。本や音源より、圧倒的に後世に残りにくい。大学生の頃はなんとも思っていなかったけれど、今はライブに集まった人同士でしか共有できない感情の刹那にも、僕はとんでもなく浪漫を感じてしまう。
 その日限りの共同体というもの、それがみんなの思い出になるということ、その日終わるのが少し名残惜しいということ。そんな消えていってしまう毎日を重ねていくことがまた、人生を面白くしている。
 消えていってしまうものが愛おしくて、結局僕はまたライブを重ねてしまう。実は残らないもののほうが人生には多い。残るものばかりでなく、残らないものを沢山抱える人生も豊かだなぁと、何でもかんでも愛おしくなってしまう僕だった。

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