どうしたものか

[1]ひとのことを、えらそうに
 新入社員の3年以内の離職率は上がり続けている、「ゆるい職場」でも人は辞めてしまう、みんな優しいのに簡単に辞めてしまう、なんてスライドをパラパラみせられていた。どうやらこの会議室に集められたのは新入社員教育を受け持つ社員達のようで、その中で僕はかなり歳下の方らしかった。
 「どうやったら離職を止められるのか」みたいな、あやふやな議論の俎上に乗せられて、みんな偉そうに新入社員のアレコレを話していたけれど、とりあえず僕は「新入社員の方たちはみんな、僕達以上に人生について本気で考えているんだと思います」と答えて、こんなスライドを作って生計を立てているコンサルと、それに踊らされている企業に少し憤りを感じていた。
 そもそもなんで「離職率を下げなければいけない」がゴールなのか。本気で考える人は「辞める」選択肢を残し続けて人生と向き合っているはずで、そんなもの止めること自体がナンセンスだ。会議室に集められた僕だって同じなのだから、人のことを偉そうに口出しする権利なんて一つもなく、議論が終わった途端に部屋から飛び出した。

[2]どうでもいいのに
 生きていること自体が、地球に少し腰かけさせてもらっているようなものなので、老後がどうとか、社会的な肩書きがどうとか、社会的な常識なんて本当にどうでもいい。どうでもいいのに、財形貯蓄や肩書きで呼ばれると落ち着いてしまう自分もいるのを否定できない。
 社会なんて本当はどうでもいいのに、それに頭がいっぱいになって頑張って適合しようとするから、適合できない人は生きること自体が苦しくなってしまう。社会の中で安心して息をする人はそれを障害と呼んだりする。
 押せば倒れる葦のように、もっと柔軟に抗って生きていきたい。きっと今はその準備期間。帰る場所があるというのは安心できる材料ではあるけれど、結局死んだら僕たちは帰るところなんてあるのだろうか。やっぱり生きているということ自体が、地球に腰をかけているだけに過ぎない。でも、腰をかけているだけだとしても、生きるのは悪くはない。
 ある日突然くしゃみしたら腰が砕けてその衝撃で倒れて頭を打って死んでしまうかもしれない。人のことを偉そうに言う前に、自分の生き方をもっと考えなきゃいけないな。自分の芝を青くするよう、もう少し頑張ろうかな、うん。

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