おさきまっくら

[1]堕ちる
 「堕ちるところまで、堕ちてもいいかもしれませんね」と僕は言った。数ヶ月先に派遣契約を切られることになった彼と腹を割って話してみた。
 彼は、人の気持ちが分からない人だった。それが原因で挙げればキリのないあれこれの問題を多く起こして周囲は疲弊し、職場は今にも破裂しそうな風船のようだった。僕が何ヶ月もかけて人事に相談し、データを示し、面談を繰り返し、とうとう「彼は、根は悪くないが職が絶望的に合っていない」という結論に落ち着いた。そこからは話が早く、契約を更新しないことになった。
 全容を把握した人事担当は僕に「ごめんね」と言った。僕は「いえ」とだけ答えたけれど、「彼がいくら根が悪くないとはいえ、このままでは周囲が壊れてしまう」という状況に対峙した時、そしてそれが彼本人も含めて関わる全員の努力ではどうしようもないと誰もが認めた時、結局はその原因となる人をどこかに追いやったり排除する結論に落ち着いてしまうのか、と感じた。
 正直いうと、彼が居なくなることで半分は安心してしまった。そしてもう半分は、不可抗力であれ何であれ、他人の人生の方向を曲げてしまったことになんともいえない加害意識が生まれていた。

[2]おさきまっくら
 その自分の加害意識に突き動かされたのか、彼と色々話してみた。彼は言った。
 「ここは、良い職場です。みなさん優しいし、前の職場と違って怒る人もいない。けれど、やればやるほど、自分が何もできないのが分かるんです。全然できなくて。いっそのことブラック企業だったら何かに、誰かに文句をつけれるのに、良い職場だから、それができないんです。自分がどうしようもないことが、日に日に鮮明になるだけなんです。おさきまっくらですよ。」
 僕は「そんなことないですよ」と言いかけたけれど、それは一時凌ぎの言葉に過ぎないと思った。「今のありのままの自分が当てはまる職場があればいいですけどね」と言った。この言葉は半分気休めで、当てはまる職場がなければ自分で作るくらいの気概が本当は必要で、僕自身もそれに苦しんでいる状況を少し重ねていた。
 彼は「そんなもの、ないと思います。」と言ったので、僕は「それならいっそ、堕ちるところまで、堕ちてもいいかもしれませんね」と言った。彼は意外とその言葉をすんなり受け入れていた。この言葉は彼を見捨てるという意味ではなく、堕ちた先に何か見出せる可能性に賭けた方が楽しいんじゃないの?というニュアンスだったが、彼に伝わったのかは分からなかった。
 やっぱり社会はおかしいし、そんな社会に加担している自分も嫌だな、と思いつつ、煮え切らない気持ちを抱えて彼との面談を切り上げてしまったのだった。

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