優しくならない

 「文明の進歩」は我々の暮しを豊かにしたかもしれないが、それと引き替えにかつて我々のなかにあった謙虚さや感謝や我慢などの精神力を磨滅させて行く。
 もっと便利に、もっと早く、もっと長く、もっときれいに、もっとおいしいものを、もっともっともっと……。
 もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。

佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』22・23頁

[1]優しくならない
 「歴史は繰り返す」原因のほとんどは、人間の心が進歩しないからなんだろうな、と思う。「進歩」というと少しニュアンスが鈍ってしまうのだけど、人間がいつまで経っても「優しくならない」というと、少し分かりやすくなるかもしれない。
 他人の幸せよりも不幸の方が濃い味がするし、自分より下の人がいると安心するし、面倒なことは他人がやってくれたらそれでいいし、自分の幸せはなるべく独り占めしたいし、いかんせん、自分が一歩も動かず周りが堕ちていってくれれば気分が良いというのが人間の性(さが)であり、最もつまらない心の働きだったりする。
 いつまで経っても人類の優しさ偏差値が変わらない。いや、もしかすると文明の進歩が逆に優しさ偏差値を大きく下げているのかもしれない。自分が良ければそれでいい、という気持ちに拍車のかかった世界に僕たちは生きている。
 会社で誰もやりたくないから見向きもされず放置された書類は、人間の邪な心を体現している。誰かがやってくれたらそれでいい、自分が美味しい思いをすればそれでいい、他人が不幸でも構わない。その考えは、いとも簡単に戦争へと繋がったりする。だから僕は、戦争を防ぐために会社の面倒な書類に手を伸ばしてしまう。

[2]人と数字、数字と人
 最近は数字の向こうにある人の暮らしに思いを馳せている。人間の良いところは「無駄があるけどなんだかワクワクする」ところにある気がしているのに、会社で求められるのは「無駄なく粛々と」だったりする。
 「無駄なく粛々と」を求める意図は、結局売り上げや、生産性や、利潤を最大限にまで引き出し「数字」を上げることにあったりする。大体の人は皆、数字を上げた先に幸せがあると信じきっている。
 でも人間は生きているだけで疲れるし、寝なきゃいけないし、お酒も飲みたいし、風の音だって聞きたい。人間は本来無駄だらけだ。「無駄なく粛々と」の真反対にいるのに、そんな自分を認めていない人だらけだ。そんな数字ばかり見つめた人生は果たして楽しいのだろうか。会社に身を置いているのに、僕にはさっぱり分からない。
 本当は、数字よりも先に人間の生活がある。数字ばかり追い求める人生は、何もないものを追い続ける虚しいものに思えてならない。人間はやはり愚かだから、そういった数字で他人と比べて安心したり、罵ったり、不正をして数字を集めたりする。やっぱりまだまだ人間は優しくなる気配すらない。
 

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