与えよ、さらば与えられん

[1]与えよ
 この最近での大きな変化は「与えよ、さらば与えられん」を意識して実践し始めたことでした。それは身の回りの人や仲間への言葉だったり行動から起きる自身の変化を求める気持ちからでした。
 「与えよ、さらば与えられん」という言葉が聖書にあったりなかったりしますが、よくビジネスの場面では「得たかったらまず与えることから始めよう」という意味に変換されるらしいです。しかしなにかモノや金銭の見返りを求めているわけではありません。
 かといってギブアンドギブのような「見返りを求めないで与える」というわけでもありません。僕はそんなに聖人ではありません。モノや金銭の見返りは求めないのに、何かしらの見返りは求めるという、僕の捻くれた本性が見え隠れしてしまいます。
 お節介になるかもしれませんが、なるべくお節介にならないよう相手のことを考えて声をかけたり行動したりして、その結果相手が喜んでくれたり生きやすくなることで僕が嬉しくなる。これが僕なりの「与えよ、さらば与えられん」でした。見返りは自分自身の心の満足ということです。あえて見返りが求められるビジネスの場でも、実践して小さな喜びを探す毎日です。

[2]エゴか、エゴじゃないか
 「相手のために何かすることで自分が満たされる」ということは、相手の喜びと同時に自分のエゴを多く孕んでいます。だから闇雲に相手のために何かするのではなく、一定の配慮を持って人と関わらなければなりません。自分だけが気持ちよくなることは、良くない。
 この距離感や精度を上げることが大事で、小手先や建前の言葉や行動は通じません。そんなものは一瞬で見透かされてしまいます。なのでとても疲れます。なるべく嘘をつかないで生きるとか、言葉は選ぶけれど正直であり続けることとか、性格が悪いことを隠さないとか、そういったあらゆる面ですっきりした気持ちで生きることが、回り回って自分の心の満足に繋がるんだなと思っています。
 色んなものを喜んで捨て、相手が喜んでくれるなら、自分の心の満足は担保される、そういった健全な気持ちの循環を作れるように、ともかく毎日何かしら頑張って、沢山寝るだけです。そうしているうちに、今年ももう、終わってしまいそう。
 

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