人生ってなんだろう?【①生きているってなんだろう?】

【生きているってなんだろう?】

 突拍子もないことをいきなり言いますが、僕は「人生に答えも意味もない」と思っています。平成生まれの若者でも人生の玄人でもない中途半端な人間が何を偉そうに、という怒りの横槍は大変恐縮ですが少し待ってもらえたら助かります。いやぁ、恐縮ですが、どうしてもというときは横槍を刺す時に一声掛けていただければ幸いです。
 これを読んでいる人は幽霊を除きほぼ100%生きているので、皆いずれ死にます。そういう意味では死の未経験者として、皆平等に人生を考える権利くらいは、老いも若いも関係なくあってもいいではないかと思うのです。
 そういうわけで、「人生ってこうだから、こう生きた方が良いに決まってる」という固まった考えを一度白紙にして、「人生ってなんだろうねぇ、分からないよねぇ、そもそも生きたほうが良いのかねぇ」とあれこれ考えを巡らせながら、少しでも自分なりに前向きに毎日を過ごせる活力を見出す書き物を不定期に書いていこうかなと思っています。
 まぁ、すみません、本当のところは8割くらい自分の人生を考えるために書いています。いや、9割かも。いや、10割かも。すみませんねぇ。
 今回は「生きている」という現象そのものについて、少し考えてみようかなと思います。


【生きているということについて】

[1]生きているって善いことなの?

 「そもそも生きているって善いことなんでしょうか?」すみません、こんなこと聞いて。「善いに決まっているでしょう!!死んじゃダメでしょ!」すみませんね、こんなこと聞いて。
 けれど、少しだけ回り道させてください。残念ですが、これを今読んでいるということは、貴方は生きています。僕は書き終わった時点で死んでいるかも知れませんが、今読んでいる貴方は生きています。生きていますし、日本語を読む力があるという点で、地球の歴史の中で相当短い期間の、かなり限られた方々だということは間違いありません。
 現在生きていて、かつ日本語を読めるという、かなりかなり限られた僕たちが人生をあーだこーだ言うわけですから、意見が偏ったものになるのは確実です。
 そして時代がもし江戸時代だったり200年後の未来だったりすると、また常識や価値観が異なってしまうので、人生の議論はまた違うものに帰着する可能性は大きいはずです。辻斬りだっていう文化もあったわけですから、200年後はレーザーによる辻滅殺なんて文化が流行っているかもしれません。


[2]自殺防止のポスター

 もう一度「生きているって善いことなの?」と考えてみます。少しだけ「生きていることは無条件に善いこと」と捉えていいかどうか分からなくなってしまう気がしません?え、僕だけ?まぁまぁ、落ち着いてくださいね、「生きているのは悪いこと」「死んだ方がマシ」なんて極端な事を言うつもりはありません。あ、ちょっと偉そうな感じで言ってしまってごめんなさい。
 「善いか悪いか分からないけれど、僕たちは生きている」こういう状態です。なんか分からんけど生きとる、もうなんか分からん、寝て目覚めると「なんか分からんけど生きてるな、僕」と毎朝思うわけです。
 そういう思考で寝ぼけ眼のまま外に出る準備をして駅なんかにいくと、大抵改札あたりに自殺防止ポスターが貼っていたりします。死ぬことを考える前に、ここに電話してくださいね、と。「とても良いことなんだけれど、果たして本当にとても良いことなんだろうか。」とほんのちょっぴり思ってしまう自分も隠しきれないまま、電車に飛び乗ります。
 そのまま僕は、最寄駅に着くまでずっと生きることと死ぬことを天秤に乗せて考えたりします。「人は死んでしまえば生き返ることができない、というデメリットは抱えているものの、生きているということ自体がそのデメリットを超えてしまうほど辛く、解決が出来ないのであれば、死んでしまうほうが救いなんじゃないの」という価値観だってあるわけですし、それを認めることが必要な局面だってあるのかもしれません。
 ただ死んだ方がマシだ、もう人生無理ゲーと思っていても、意外と第三者が良い方法を編み出したり、環境を変えることで何とかなるパターンも多いので、デメリットを考えたら死ななくてもいいじゃない?という相談窓口として自殺防止ポスターが役立っているのであれば、意義あるものなのだと思います。

[3]善いこととは言い切れない

 そういうわけで、生きていること自体は必ずしも善いことではないけれど、死ぬことのデメリットを考えた時に、「生きている状態が楽しいと思える人生」にどんどん変換して「死にたくねぇな」と思い続けることが、それなりに面白い人生の原動力になるのかもしれません。
 なんとなく多くの人が「死にたくねぇよう」と思っているのであれば、それは「人生が現時点でそれなりに死ぬよりも楽しいから」という可能性が高いので、より楽しくなるように人生を振っていけば、もっと面白いんじゃないの?なんて思ったりもします。
 今こんなに楽しいのに死んだら後悔する!!めちゃくちゃ死にたくない!!死にたくないのに!!でも!死にそう!ぐふ…、とヨボヨボになって死ぬ直前までだらだら生に固執する人生も素敵なんじゃないでしょうか。醜いかなぁ。
 逆を言えば、それほどまでに死ぬことのデメリットは大きいのかもしれません。悔いなしとして死ぬ時代の価値観や人生も認めなければいけませんし、その死生観に対して宗教がなんらかの形で介在したり、救いを与えてきたりもします。
 まぁ、今の時代の日本の話、いや、僕だけの話ですが、なるべく楽しく生きるのがベターという感覚が一番しっくりときています。なので、どうやって毎日楽しく変換していこう?という悩みが生まれています。その悩みの根源は、僕の場合は言わずもがな、人生の大半を占める「仕事」だったりします。貴方も何か、人生を楽しく生きるためにちょっと支障になってしまうものってありますか?次は「仕事」を考えてみましょう。


というような感じで、さらさらと色々考えてみようと思います。次は「仕事」の角度から人生を考えてみようかなと思います。

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