胡蝶の夢

[1]胡蝶の夢
 眠りが浅かったのか、夢を見ました。夢の中で、母が隣で眠っていました。何度も何度も見た、口を半開きにして気持ちよさそうに寝息を立てる母でした。きっと焼酎でも飲んで強引に寝ているいつもの母なのでしょう。
 僕は夢の中で、飛び上がるほど喜んでいました。「母だ!いつもの母だ!!」と小躍りしていました。しかし少しするとサラサラと砂がこぼれ落ちるように母が消えてなくなってしまいました。「やっぱり母は居なかったんだ」
 目が覚めると、サカスプ終わりに入ったネカフェの個室がそこにありました。思わず、涙が流れてしまいました。時間が経ってもそう簡単に傷は癒えるものではないなと思いましたが、それでも一瞬でも喜ばせてくれた胡蝶の夢に、感謝もしていました。

[2]人間という存在
 人間の欲望はキリがありません。その欲望を満たすためには「他人を不幸にしてでも」とまではいかないまでも「自分だけでも」というニュアンスが凡そ含まれています。
 そういった「自分だけでも」という欲望が、毎日あらゆる場面で見え隠れしています。仕事でも、コンビニでも、テレビを見ていても、スマホを触っていても、どこでも大小関わらずあらゆる誰かの欲望が溢れ出て、誰かの欲望を満たすために、他の誰かが少し無理を被る社会の仕組みに、若干の吐き気を感じてしまいます。
 そういう意味では、自分自身も世の中に溢れる欲望に絡め取られた人間の一人です。「いつまでたっても死にたくないな」とは思うのですが、欲望から離れたいという文脈で「人間辞めたいな」と思うことは多くなりました。
 母が生きていて欲しかった、というのは欲望なのだろうか。昨夜見た胡蝶の夢は、そんな割り切れない課題も残して、夢と現実を分つ目覚めを与えてくれたのでした。いつまで経ってもその答えは出そうにありませんでした。

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