お好み焼き屋に入らなかったワケ

[1]年季の入ったお好み焼き屋
 僕はとあるお好み焼き屋の前まで来て入るのを辞めた。見覚えのある、なんなら全部作ったことのあるメニューを2分ほど眺めて、まだ入らないでおこうと思って実家へ向かった。
 なんとなく有給を取って、実家へ母の様子を見に行こうと思って家を出たものの、何の引力か、気がつけば1時間も迂回をして大学生の頃から七年勤めていた地元のお好み焼き屋の前に立っていた。
 最初は高校の親友が卒業後に地元のお好み焼き屋でバイトを始めたというものだから、そこに紹介される形で自分も入ったけれど、早々に親友は辞めてしまった。気づけば僕だけが地元で四年、チェーン展開されていた難波で二年、道頓堀で一年勤めたバイト先だった。なんなら一時期僕はシフトだって組んでいた謎のバイトだった。母も引き込んでパートタイマーで働いてもらった時期もあったくらいだから、それなりに人生に食い込んでいる思い出がある。

[2]破産
 辞めてから何年も経つけれど、それこそ今日は古参バイトOBとして「地元のこの店、変わってないっすねぇー!!!」と鬱陶しさを撒き散らしながら客として入って良かったのかもしれない。それなりに円満退社していたので、なおさらそれもできたはずだった。
 しかし、今の僕にはそれができなかった。店の前まで来て確かにメニューを眺めていたけれど、考えていたのは全く別のことだった。
 平たく言えば、数年前にこのお好み焼き屋は破産している。僕が辞めた当時は全国10店舗程に拡がるチェーン店舗だったが、コロナ禍に突入してすぐに破産した。恐らく資金的な余裕がない中でコロナ禍に突入したものだから、一瞬にして体力が尽きたのだろう。
 なのに、地元の店舗だけは名前も変えず営業している。勿論他の店舗は破産時に差し押さえされていたし、実際にもう違うテナントが入っているのも確認している。
 何故この地元の店舗だけは存続しているのか。その理由はあくまで又聞きだが、僕がバイトを卒業してブラック企業に勤めている間、コロナ禍に突入する数年前に遡る。

[3]建前と現実
 針山さん(仮名)という社員がいた。僕がバイトで入った初日から色々と教えてくれた、ずっとふざけていて、ギャグがしつこくて、笑顔を絶やさなくて、根が生真面目で、弱音を吐かない、だけどどこか抜けている男の人だった。スーパー玉出の店内アナウンスアレンジバージョンが彼のお気に入りで、何時間もずっと僕に披露してくれていた。彼の焼くお好みも焼きそばも、とても上手で美味しかった。
 社員はよく異動があるのでずっと一緒だったわけではないけれど、地元でも、難波でも、道頓堀でも一定の期間一緒になって働いていたので、会う度に楽しく過ごしていた。
 下から人望のある社員は、上にはその魅力が伝わり切らないことは得てしてよくある。針山さんもその一人だったような印象を受ける。
 そのような類の話は僕が辞める前からしばしば聞いていたが、辞めた後、彼は体良くいうと暖簾分けという形が正しいのか分からないけれど、地元のお好み焼き屋をそのまま譲り受けて会社から独立した、という実しやかな情報が入った。
 これは見方によっては売上が低く、老朽化した店舗とともに切り離されたように見えるが、実際のところは社長が針山さんの未来を憂いて、良いように動いてくれただけかもしれない。ただ少なくとも僕の耳に入る時には幾らか情報がネガティブなものに歪められていたし、偏った情報で構築されて、事実と異なるところも多くあると思うので、なるべくフラットな気持ちは保っておきたい。

[4]入らなかったワケ
 そういうわけで、針山さんは地元のお好み焼き屋を譲り受け、そして店名はそのままに独立したため、本丸の会社が破産した後も、結果的にするすると上手く残り続けることになった、と理解している。
 僕は今日その店の前までわざわざやってきて、数分間入ろうか思案した挙句、入らなかったのだ。針山さんに会いたいという気持ちはかなりあったが、そもそも今日いるのか分からなかったこと、書き連ねた話ももう数年前のことで、一部噂話を補完しているため事実と異なる理解をわざわざはっきりさせなくても良いと思ったこと、過ぎた話を詮索しに行くのが野暮だと思ったこと、なによりそこまでお腹が空いてないのに食べに行くのは少し失礼だと感じて、今日のところはお預けにした。
 またお腹が空いたら食べに行こうと思う。今の頭でっかちの身体では、全力でソースを楽しめないから。当時から変わったり変わってなかったりする商店街を抜けて、僕は手土産も持たずに実家へと向かった。

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