不可逆と暴力

[1]時間を奪う感覚
 やはり僕は「他人の時間を躊躇なく奪える人物」が一番堪えてしまうようで、休憩時間でも、もう帰ろうとしているときでも、どれだけ急いで他の対応している時でもお構いなく話しかけてくる特定の人たちに心がやられてしまっていた。
 昔から自分は「一人の時間」が好きだと思い込んでいたけれど、この心の荒れ方を鑑みるに「ずけずけと土足で他人の時間を奪う行為」があまりに苦手なだけで、結果その被害に遭う可能性が一番低い「一人の時間」に安心感を覚えているだけだった。
 お互いに配慮された空間であれば誰かと一緒にいても安心感があるし、やはり「他人の人生の時間に踏み込む行為」の意味を、同じ重さで捉えてくれる人と付き合いを続けていきたいだけなんだと思っている。時間だけはどう頑張っても帰ってこないから、その貴重さを分かち合える人と同じ時間を過ごしたい。

[2]街
 つくづく世の中には「ヤバい人」が多い。この「ヤバい人」は言い換えると「誰かが傷つくかもしれない行為や言動の痛みを理解できない人」という意味で使っている。そういう意味では、先ほどの「時間を奪われる感覚」で傷ついてしまう僕は、あまりに繊細すぎるのかもしれない。しかしもう傷ついてしまうことは僕にとって変えようのない事実なのである。
 電車に乗っても、街を歩いても、コンビニでも、見た目は普通なのに、一枚皮を剥げば途端にヤバい人が溢れている。それは歩き方だったり、立つ位置だったり、話し言葉のニュアンスだったり、本当にそんな些細なポイントで、あぁ、この人はきっとヤバい人なんだろうなと感じてしまう。人間の暴力性が、声を顰めながら街中に疼いている。
 年末の雰囲気に紛れて、気がつけばかすり傷だらけになってしまう自分を、厄介だなと思いながら受け入れて来年を迎えようと思う。
 

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