ネガティブを楽しもう

[1]情報のブラックホール
 「現代人」というワードで言い表せるものは時代によって異なるものの、とりあえず今日の僕は朝起きたらスマホを触り、通勤電車でもスマホを触り、サイバーな世界に目を落としている。仕事場ではパソコンに向かい、いつでも世界と繋がっている。昼休みになると「ふう」と一息吐いてスマホを触る。また夕刻までパソコンと向かい合って、仕事終わりにカフェに寄ってこの文章をスマホで入力している。
 10年前と比べて、要る情報と要らない情報が随分と増え続けて、脳に絶え間なく入り続けるようになったな、と思う。地震の被害状況から芸能人の不倫、膨れたシマエナガから福岡の友人のお昼ご飯、数年会っていない人の仕事の愚痴から、やたらめったら可愛い動物の動画、会ったことのない人が最近買った服まで、何から何まで同質の情報として視界に入ってくる。
 現代の特質というべきか、この情報の波、渦、ブラックホールみたいなものが承認欲求や溜め息や心の一息や嫉妬心やマウントを取りたい気持ちをきっかけにずっとずっと、蠢いている。
 「現代は情報が見えすぎている」そして、それに反発するように「情報が多すぎて現代人は自分を見失っている」「見えない余白を愛せ」と、それもまた、様々な情報として声高に飛び交っている。

[2]脱・脱接続の世界
 そして「スマホを置いて自分を見つけよう」というメッセージがスマホを介して入ってきたりするのは、なんだか説得力がないなと思ったりもするし、ギャグのようだと感じたりする。
 退屈や孤独を埋める麻薬としてサイバーな情報が存在するならば、それはそれで良いんじゃないかと思う。人は、様々な情報に揉まれるうちに、自分を見失ったり、自分を見つけたりする。それが現代ではスマートフォンから入ってきやすいだけで、一重に電波から脱接続を達した世界のみが自分を救う唯一の手段ではないはず、と一人でコーヒーを啜りながら考えていた。
 ただ、以前と比べて人の嫉妬心や攻撃性がポジティブな情報と同じ、いやそれ以上の質量で入ってきてお腹が気持ち悪くなることが多くなったのも事実。必要なのは、スマホを置くことではなく、あらゆる嫉妬心を弾き飛ばすくらい人生を楽しむことなんじゃないかと思う。
 ネガティブな情報でしっかりダメージは喰らうものの、ネガティブが溢れている世界であればあるほど、その分ギリギリまで引っ張られた弓のように、後ろまで引っ張られてゼンマイが軋む音を鳴らしているミニカーのように、ポジティブな方向に振り切って人生の楽しさを見つける悦びは、以前と比べて断然飛距離が伸びているように感じたりもする。
 溢れる情報の波に溺れるのでもなく、乗るのでもなく、拒否するのでもなく、ただただ自分と適切な距離感で関わって、人生を面白くする。意外とそんなものだったりする。適切な距離は人それぞれ。嫉妬心を振り切って、人生を楽しくしたいなと心から思う。頭の整理がついたので、カフェを出ます。さようなら。

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