鷺とホームレス

[1]紐解き
 未来を拓くため、そして現在に躓かないために、自分の性格や思考、気に障ってしまう端緒の根源を理解する必要があるだろうと、幼少期の記憶に手を伸ばして掬い上げて、一つ一つ丁寧に紐解いていました。それはツアーファイナルが終わり、打ち上げも終わった後、一人大阪行き近鉄電車の始発を待つ川沿いのベンチで行われた思考の旅でした。近くにはホームレスが寝ていて、その周りを鷺が歩き回っています。ぼんやり少しずつ明るくなる空を眺めたり眺めなかったりしながら、ホームレスを起こさないように僕も鷺も、静かに過ごしていました。

[2]奥行き
 小学生から大学生までの記憶を手繰ってみると、真っ先に出てくるのは「母」「貧乏」「誰もいない家」の3つワードでした。10年以上続いたこの生活が自分の思考の根本にありました。
 小さい頃両親が離婚してから、母は一人で僕と兄を育ててきました。歳の離れた兄は早々に家を出ていき、母は朝から晩まで身を粉にして働いていたので、基本的に僕は学校から帰ってきて寝るまで家でずっと一人でした。母は毎日の晩酌だけが楽しみらしく、僕が寝てから家に帰っては紙パックの焼酎をグラスに注いでいたようです。朝起きると酔って眠る母とグラスに溶けた氷で薄まった飲みかけの焼酎と、リビングのテーブルに一日分の僕の食費が毎日置かれているだけでした。
 人によってはそれは冷たい家庭、崩壊した育児に移るかもしれません。しかし毎日置かれるお金には、奥行きがありました。家が貧乏なのになるべくひもじい思いはさせまいと母が捻出し続けたお金には、必死で働く母の姿が透けて見えました。
 母とは当時、あまり会話らしい会話や、どこかへ一緒に出かけるということもしてきませんでしたが、随所に一見見えにくい愛情が散りばめられていました。貧乏だったので塾や習い事は一切通うことができませんでしたが、本や参考書だけは自由に買わせてくれました。そのおかげで大学までいけたし、欲張って大学院まで行かせてもらいました。その後就職先で僕が心身を壊してしまったとき、「これだけ頑張った息子になんてことしてくれたんだ!」と憤ってる電話越しの母の声に、貧乏な思いをさせて申し訳ないという気持ちが込められていたような気がしています。

[3]吐き気
 ここまで思考を巡らせて少し冷静になって周りを見回すと、相変わらず少し離れたベンチでホームレスは寝ていましたが、鷺はいつの間にか居なくなってしまいました。そうだった、自分の思考の癖を探るために回想していたんだった。
 僕が苦手というか、ウッとうっすら吐き気に近いものを感じる瞬間は「当たり前を当たり前として享受している人や言動」にぶつかるというのがあります。
 当時テーブルに置いていた一日分の食費は、当たり前のように置かれていたけど決して当たり前じゃなかった。その先には母の人生の一部を切り取った労働と疲れがありました。そういうように、日々周りの人の言動や行動、表情は全て当たり前ではなく、何かしらの奥行きがあります。周りの人の言動や行動、表情が顕れるまでの過程や意図を想像しただけで、心がいっぱいになります。そういった身の回りの人への想像の欠如が顕れた瞬間に、僕はうっすらとした吐き気を覚えるようです。
 言葉が決して自分に向けられたものでなくても、他人が誰かにかける言葉や、時間を割いてくれた行動の奥行きを感じずに無意識で軽く扱ったり、自分の気分のムラで時にぞんざいに扱ったりする様子に、苦手を感じたり吐き気を覚えたりします。そういう他人の様子は日々の生活から滲み出るものなのかもしれません。勝手にそんな他人の生活まで想像して、苦手に拍車をかけたりもします。それは想像しすぎなのかもしれませんが。
 ここまで考えていると、すっかり始発電車の時間が近づいてしまいました。きっと近くで眠るホームレスの方も、もしかしたら他人を軽視しすぎた結果か、逆にあまりに優しすぎた結果か、ここで眠っているのかもしれません。その理由は分かりませんが、未来を薄ぼんやりとさせないために、現実の対処法を見つけるために、本当は少し目を伏せたい過去を思い返しながら、また自分の思考の癖を探ってみようと思いますが、今日のところは大阪に帰ります。

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