正攻法が苦手


[1]聞く耳をもたない
 「正攻法」が苦手。「良い大学に入りたかったら良い塾に通いなさい」「上手くなりたければ先生に習いなさい」「通信教育うけて資格を取った方が就職に有利」という至極真っ当な意見に「そうですよね〜」なんて言いながら全く聞く耳をもたない自分がいる。ドラムもその延長で、我流も我流。
 なんでこんなに聞く耳をもたないのか振り返ってみると理由は簡単、お金がなかったから。子どもの頃家計に余裕がなく、そういった「良いとされる人生」を得るための手段である「塾」や「先生」や「通信教育」を親にねだることができなかった。
 そもそもねだる発想すらなかったので、一人家計を支える母が深酒して寝ている姿に励まされながら、毎朝学校へ向かっていた。ここまで逞しい母を見て、ネガティブな気持ちは一ミリもわかなかった。人生は自分で切り拓くものだと考えていた。

[2]言い訳
 節々で「お金があったら良いなぁ」と思うことはあったけれど、当時の家庭環境を憂いたり、呪うことはなかった。むしろ、そういった環境で人生を攻略して楽しく生きていく方法を探るのが楽しくもあった。
 ただ大学院にいた頃は、この「お金がない」ことを言い訳に使っていたように思う。確かに「お金がない」という状況ではまず「お金を稼がなければならない」ので物理面や時間面で制約を相当受けていたけれど、振り返れば当時はそれを自分の中で言い訳にしていた。
 人生の攻略に詰まれば、何か「自分ではどうしようもない状況」を言い訳にしてしまう。けれどよく考えてみれば、「自分ではどうしようもない状況」は「何年もかけて自分で作ってきた状況」でもある。自分で作ってきた状況に首を絞められて言い訳しているというのは、なんてダサいんだろう、と今になって思う。
 こうして文章を書いているのも、後になにか未来に繋がればいいけれど、一方で未来の言い訳にならないよう、気をつけながらちゃんと我流で道を拓いていきたい。

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