死ぬから楽しい

[1]死の引力
 死んだらどうなると思います?「死」というのは人類の、生き物の興味深い機能だと思う時がある。死があるから悔いのないように生きようと思ったり、死があるから死にたいと思ったり、死があるから今のこの時がとても大事だったり、逆にどうでも良かったりする。
 不老不死だったら僕は今日も真面目に仕事なんてしないだろうし、イライラしながら日中を慌ただしく過ごしたりしないだろう。
 僕がもう、楽しい人生のために「全部頑張る!」と毎日奮闘してしまうのも、「死」があるからに他ならない。死ななかったら頑張れない。
 不確定な人生の終焉に向けて、毎日頑張る。毎日の引力を大事にする。何か惹かれるものがあれば、そこにちゃんと関わる。そうやって、毎日を少しだけロマンチックにすることが、面白い人生の入り口のような気がしている。

[2]飛行船
 大学一回生の丁度この時期、僕は大学に複数存在する軽音サークルのどこに入ろうか悩んでいた。この時期は新入生歓迎会というものが至る所で開かれていて、歩けばどこかにブルーシートが敷かれていて、お菓子やらジュースやらを餌にして、どこぞの見知らぬ先輩が学生を外れた道に引き込もうと手招きしていた。
 僕はそういう浮かれた集まりを肩で風を切って全て無視し、ある日いきなり「飛行船」という名の軽音サークルの部室の扉を叩いた。
 そこを選んだ理由は「飛行船」という名前が気になったからだけだった。入ってみると狂ったサークルでやけに体に馴染んでしまい、大学の青春のほとんどはそこで過ごすことになった。変な人格も大体そこでできてしまった。Emu sickSというバンドもそこで組んだ。

[3]人生の選択肢
 結局僕は、「どうせ死ぬんだから」その時面白いと思ったものに飛び込んでしまう。この年齢になって、いくらかしがらみができたのかもしれないが、しがらみにしばられたまま夢を叶えたら面白いじゃん!!なんて思ってしまう。
 後悔というものは、その時その時で最高に面白い人生の選択肢を取れていたかどうかで生まれたり生まれなかったりする。
 確かに僕は過去にブラック企業に入って何年か人生を棒に振ったが、全然後悔していない。辛かったが、後悔はしていない。あの時の辛い経験が、今の僕の優しさを培う幾らかの糧になっているのであれば、それを後悔と呼ぶのは人生に失礼な気がしている。
 そうなって時に大きな下手を打ちながら、面白いものを選び続ける人生は続く。

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