明日を誤魔化す液体
[1]誤魔化したくない
飲酒というものは、明日の現実を誤魔化すにはちょうどいい。ただそれだけでは悲しい慰めの液体なので、明日を誤魔化すだけでなく、アルコールでリミッターが外れた話の中から、半年後の自分はこうありたいという心の声や他人のアドバイスを聞き出す手段だと僕は捉えている。なので一人では飲めない。家では飲まない。
最近外での飲酒頻度が多いのは、明日を誤魔化したい気持ちが無いわけでもないけれど、本心は間違いなく半年後の自分に不安を覚えているからだ。半年後、このまま日常に飲まれているのであれば、自分の未来は明るくない。そんな人生は幸せとは程遠い。
明日を誤魔化すためだけの飲酒は無情な日々への入り口だ。気をつけて飲酒と向き合う必要がある。自戒。
[2]誤魔化している
母は、僕が小さい頃から家を守るために働き詰めだった。毎日僕が眠ったころに帰ってきて、深夜から紙パックの芋焼酎をたらふく飲んで、朝には深い眠りについていたものだから、寝ている母を横目に制服に着替えて学校に向かうのが常だった。
それは僕にとって全然嫌なことではなく、仕事終わりにお酒を飲むため家に帰ってくる母にむしろ安心すら覚えていたし、毎日減っては補充される紙パックの芋焼酎が、母が元気なことを示してくれていた。
言葉を交わさない対話を、芋焼酎の減りを見て毎日行っていたような気がする。
ただ今思うと母は、明日を誤魔化すためだけに飲酒していたのかもしれない。暮らすための、子どもを育てるためのお金に追われる毎日から少しでも抜け出したくて、無情に明日を誤魔化し続けていたのだとしたら、そんな母の毎日を僕は安心感を持って眺めていたとしたら、それは皮肉なものだったのかもしれない。
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