純粋な気持ちはどこに消えた

[1]音楽をする意味
 「楽しいから音楽をする」これはZOOZを始めた頃、明確に僕の中で揺るがない信念めいたものになっている。それは当たり前なことかもしれないけれど「音楽は楽しいもの」ということが、「大きくなりたい」とか「良い思いをしたい」とか、余計な欲望やしがらみを引っ付けてしまうことで「楽しくないもの」に変わってしまうことが往々にしてある。
 「本来楽しいはずのもの」に「現実的な欲望」をくっつけてしまうと、その欲望を叶えるための手段として音楽が存在してしまうことになる。その結果、ただ「音楽って楽しいよね」というピュアな感情が消え去ってしまうのだ。20代の頃は、そんな当たり前なことに気づいていなかった気がする。
 なんとなくそういうことに気がついて「楽しい」ということに主眼を置いて人生を歩んでみることにしたのがZOOZを結成した2019年からだった。
 加えて2020年コロナ禍に突入したことで「ライブをする」ということ自体がしばらく冷ややかな目で見られ、何故か非常識と捉えられ、本名が16ビートはやおではない僕は社会人をしながらこそこそ音楽をしていたが、こそこそすればするほど「やっぱり音楽楽しいじゃん!!!楽しいから音楽をするんだよ!!」という考えに至った。そこにガストバーナー結成の話も舞い込んできて、今に至っている。

[2]紙のプレゼント
 4歳か5歳の誕生日のとき、僕はプレゼントに「絵を描きたいから「紙」がいっぱいほしい!!」と親にねだっていた。
 親は「あんた、そんなんでいいの??もっと…、ほら、もう少し高いおもちゃとかあるでしょう?」みたいなことを笑って言っていたが、僕は頑なに譲らず、誕生日当日に大量の紙をもらって大喜びしていた。
 こどもの楽しみの尺度には、金銭的な喜びや、社会的地位や影響力を得る喜びがなく、ただただ純粋に「楽しいこと」を求める喜びしかなかった。そこに邪な気持ちは1ミリもなかった。
 今はそういう純粋な気持ちだけで生活できるわけでもないので、邪な気持ちが少し入り込む余地はあるけれど、なるべく純粋に「音を出しているから楽しい!」「メンバーと一緒に音楽をやっているから楽しい!!」という原始的な楽しさを第一に据えて音楽をしたいなぁと思っている。
 ちなみに昨日、ZOOZで新年会をした帰りの電車でそんなことを考えていたらいつの間にか寝てしまい、しっかり乗り過ごしてしまっていた。けれど、楽しいことを第一に置いて、今年も音楽できそうで非常に楽しみになっている自分がいた。帰りは一駅多く歩いて寒かったけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?