離れるを考える

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 過去に囚われてはいけないけれど、気がつけば離れていった数々の人やものに対して「どうして離れていったのか」という理由はその都度考える必要がある。離れていった理由や意味が明確なものは良いけれど、大抵のものはその理由や意味が語らないまま離れていく。
 それは当然そうで、例えば自分が「この人ちょっと苦手かも…」と思った人に対して、わざわざ「ちょっとあなたが椅子に座る時、周りを気にせずドカッて大きな地響きを立てて座るのが苦手なので距離を置きたいです」なんて言わない。人が離れる時、その理由が語られることはほとんどない。いちいち語っているほど、人間暇じゃないのだ。

[2]
 なので離れていった人やものに対して、その理由は推察することしかできない。人の心は分からないから面白くもあり、面倒だったりする。どこか自分に至らないところはあったのだろうか。なるべく自己保身になって他責にしないよう、例え相手が大した理由なく離れたとしても、僕はいつもそれなりに大きな質量でその理由を考えていたりする。
 これは半分癖になっているので、気がつけば考えていてどっと疲れていたりするけれど、ある意味「なんでも人のせいにしない」思考の練習なんだと思う。かといって逆に「なんでも自分のせいにする」というわけでもない。それはあくまでもフラットに考えて、少し先の未来に活かす種が欲しいだけなんだと思う。バンドをしていると、ありがたいことにそういうことを考える機会が沢山ある。疲れと引き換えに、生きるヒントを沢山もらっている気がしている。

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