助けたくなる魅力

[1]小学生
 朝。通勤途中の小雨降る街を歩いていると、マンションから乳母車を押しながら誰かのお母さんが出てきた。その後を追ってランドセルを背負った男の子が小走りで傘をさしながらお母さんを追いかけて元気よく出てきたけれど、何かにつまづいて僕の前で派手に転んだ。
 途端に大泣きし始めたので、お母さんは慌てて乳母車から手を離し、男の子の擦りむいた膝や、濡れた服をハンカチで拭き始めた。
 僕は思わず歩道の真ん中に置かれたままの乳母車を安全な場所まで動かしていた。近くにいた見知らぬおばさんは、慣れた様子で男の子を励ましていた。
 「では」「すみません、ありがとうございます」とだけ会話を交わし、僕は会社へ向かった。男の子の泣き声は、会社に近づくにつれて少しずつ小さく、遠くなっていった。きっと泣き声の音量自体は変わっていなかった。

[2]おじさん
 夜。日も変わりそうな時間に駅から家まで歩いていると、大柄で太ったお世辞にも小綺麗にしているともいえないおじさんが、2リットルのお茶が入ったペットボトルを小脇に抱えながら、キャバクラが沢山入ったビルに入ろうとして、段差につまづいて派手に転んだ。
 漫画のような「ぎやあ!!」という声を聞いたのは久々だったけれど、僕は朝のように思わず駆け寄る気には全くなれず、一瞥するだけで通り過ぎてしまった。
 家についてから、何で朝は思わず駆け寄ったのに、夜は駆け寄らなかったんだろう、と考えていた。

[3]助けたくなる魅力
 答えは簡単だった。「助けたくなる魅力」があるかないかだった。朝転けた男の子とすぐに駆け寄るお母さんは、なんだか普段からそうやって助け合ったり、心配したり、笑い合っていたりする関係性がその瞬間に見えたのだ。
 一方夜転けたおじさんは、何だかそういう気持ちが湧き起こらなかった。それは見た目からくるものではなく、「ぎやあ!!」という声の中に、なんだか独善的な響きがあった。「自分だけが満たされていればそれで良い」生き方を普段からしているような雰囲気が潜んでいたのだった。
 きっと小学生の男の子が夜にキャバクラのビルの前で転けても声をかけていただろうし、そのおじさんが朝に歩道で転けていても声をかけていなかっただろう。それくらいの助けたくなる魅力の違いがそこにはあった。
 人の魅力はそういった所作の一つ一つに潜んでいる。普段の生き方から気をつけつつ、まずはそもそも転けないように足元を気をつけるところから始めようと思っていたのだった。

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