まるで幽霊のようだ

[1]
 いずれ仕事を辞めるつもりしかないが、僕が面倒で誰もやりたがらない業務に首を突っ込みまくっているのは、決して言葉には出ない他人の「楽をしたい気持ち」や「誰かが片付けてくれたらいいのに」と言った人の心の隙間を垣間見たい気持ちがあるからでもある。
 「誰もやりたがらない仕事」を率先してやっていると、ミスをしても不思議と周りから責められない。それは周りの人の心のどこかに、小さな罪悪感や、黙って知らないふりをして通り過ぎるのを待っているという、邪な気持ちがあるからだったりする。
 僕はそれを「誰かの不誠実」という言葉に集約したりするけれど、ある意味そういった「誰かの不誠実を処理する」という自分の誠実さにつけ込んで、人の心の弱い部分を覗き見させてもらっているのだ。そのうちこういった経験は表現に変わるのだけれど、他人の心の隙間を逆に利用している自分が凄く悪い人間に思えてきた。

[2]
 ここ最近は電車に乗っていても参考書と睨めっこしていたので、あまり車窓から外を眺めることができていなかった。
 試験から解放されて、久しぶりに車窓から一面に広がる三重の田んぼを眺めては、「くねくね」という都市伝説上の化物はこういうところに出たのかなと思っていた。同時に「そういえば、ガストバーナーのラジオの最終回のテーマは「幽霊を信じますか?」だったな」とつらつら思考のリレーが続いていた。
 僕はかねてから神様の存在を信じるのだったら幽霊の存在も信じてあげないと幽霊に失礼じゃん、と思っているので幽霊も信じている。見えないし、僕は直感も鈍いから感じることもできないのだけど、怖い奴らばかりじゃないはず。見えないからこそ存在を信じるというのは、ある意味素敵なことだと思う。
 なんたって、人は見えるし、触れることもできる「誰もやりたがらない仕事」をまるで見えないかのように、幽霊かのようにスルーして、時に恐れたりするのだから、見えないという一点のみで幽霊を邪険に扱ってはいけない。人間の脳や能力には限界があるし、万能ではない。
 週が明ければ、僕だけにしか見えない幽霊のような書類に向き合い、処理し、成仏させてあげなければならない。そうやって、誰かの楽したい願望を叶えることで、見えない人の心の隙間も垣間見たりする。目に見えるものが全てではない。

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