心の置き場所

[1]来世へ持っていけるもの
 眠ったら朝が来る。そんなことを一万回繰り返している内に、朝が来ること自体当たり前に感じてしまっている。けれど決してそんなことはない。突然次の日が来ない可能性だってそれなりにある。
 お金やモノは「明日やろうと思って適度に残しておいた仕事」と同じくらい来世に持っていけないので、なるべく執着しないようにしている。こだわりや思い出は、少しくらいは来世に持っていけるかもしれないので、大切にしようと思っている。なるべく思い出を来世に持っていきたいので、今日は早起きして会社に向かい、早退して病院にいる母に会う時間を捻出すべく奮闘していた。
 そもそも来世があると思っていること自体、今世失敗した時の保険のような考えかもしれない。ならば余計に、後悔しないよう今世も頑張らなきゃいけないな、そんな思いで朝からパソコンと向かい合って仕事をしていた。

[2]取りこぼし
 朝が来ることくらい当たり前のように僕たちは時間を使って生きている。戻ってこない時間を憂いながら、今を生きている。時間ばかりはどれだけお金を積んでも可逆になることはない。お金で買える時間は「なるべく早く着く」とか時間の短縮ばかりで、使った時間を取り戻したりすることはできない。
 会社に勤めていると、そういった価値観を真っ向から共有できない人が案外多くいて、そういった人の存在が、僕の心を深く抉ってきたりもする。闘病中の母と会うためにひたすら必死に働いて、「すみません、ちょっと午後から用事があるので」と伝えてもどこ吹く風、どうしても他人の噂話をしたい人に捕まって消費させられた時間は還ってくることはない。
 あなたは当たり前のように朝が来ても、僕の母は朝が来ないかもしれない。そんなことを思いながら退勤し、肩で風を切るように会社を飛び出した。

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