春の亡霊

[1]修了できない
 修了できない。大学院の修士論文が完成せず、提出できない夢を毎年この時期に見る。夢の中で夏から半年放置した論文を睨みつけて絶望している自分がいる。
 目が覚めると社会人で良かった(良くない)と思うが、実際のところ大学院の頃の僕はどうだったかを振り返ってみると、修士論文を書いている記憶がほとんどない。
 というのも大学院2年生の夏、僕はもう「負けた」と思っていた。「負けた」のは自分に対しても、凄すぎる同僚に対しても、教授に対してもそうだった。運良く院に入ったものの、その力の差は歴然で、自分の努力も足りず、モチベーションを上げることのできないまま、提出まで後半年という状態だった。
 「もう負けた。ここから先の人生、どうすればいいんだろう」と考えながら、身の入らない、地に足のつかない論文というには烏滸がましいほど散らかった文章をつらつらと書き並べていた。
 結果的に大学院を修了することはできたが、論文が完成したとか、出来がどうだったというにはほど遠い、箸にも棒にもかからない中途半端な結末を迎えた。そして、就職先も決めずぬるい執行猶予の春を迎えた。

[2]春の亡霊
 そこから一年フリーターをしながら就職活動を始め、ブラック企業、ブラック企業、今の職に至る。
 もう随分前のことなのに、僕はまだ夢の中で大学院を修了できずにいる。それはきっと後悔からくるものではなく、どれだけ必死に頑張っても追いつけないという挫折の記憶が、春の亡霊として枕元に立っているのだった。
 それは、これまでの人生「頑張ったらどうにかなる」ものが、「頑張っても自分の力では切り拓けないものがある」という学びを得る機会でもあった。
 しばらくするとそこから派生して「これだけ頑張ったんだから、自分を責めないで褒めよう。駄目だったのはそういう運命で、きっとそれはそれで良い人生が拓けるはず。自分お疲れ〜☆」と思えるようになった。
 春の亡霊は、未だに毎年夢の中で僕を大学院に幽閉するけれど、現実を生きる処方箋を、毎年思い出させてくれる大事な亡霊でもあった。

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