罪悪感と足枷

[1]心の風邪
 人生自信を持っていると、鼻を挫かれるものだ。それまでそれなりに順調に進んでいた人生が20代中盤から少しずつ崩れ、心や生活の痛みと闘うことが増えていった。
 始めて正社員で就いた仕事は一年足らずで心を壊して辞めた。あの頃の記憶はぶつ切りになっていて一応繋いでいるものの思い出せることが多くはないが、明日の生活すらままならない人たちの声が耳から離れないし、それを軽く流す上司の声も忘れることはできない。辞めてから壊れた心の快復を待っていては暮らしが立ち行かないので、学生時代に勤めてたお好み焼き屋に恥を忍んで出戻りし、並行して転職活動を始めていた。
 転職では、心の小回りが効かない大きな会社ではなく、小さな会社、だけれどもニッチな産業で先行きの明るい仕事を探していた。あと変わった仕事をしてみたかったこともあり、目のついた企業に応募してみると、あっという間に最終面接まで残ってしまった。
 面接で出てきた社長はとてもフランクで、柔和で、かつ人の心が分かる人に見えた。正直に心が壊れたこと、今の気持ちを話してみると、親身に寄り添ってくれた気がした。

[2]嘘つき
 人生躓いても頑張れば何か良いことがあるはず。案外あっさり決まった転職先は、僕には人生を良い方向に転換するきっかけだと思っていた。
 しかしその淡い期待も何ヶ月かしたら消えた。社長は柔和な顔のままおかしな発言を日々繰り返していた。「君たちは本当に何もできない人間だ。普通の人間にすらなれないよ」「平日にライブを見に行くだなんて、君は社会人失格だ」と皆の前で詰られたりもした。「休みの日は少し休んで残りは仕事!そうやって仕事を趣味にしなさい。そうすれば毎日楽しいぞ。」「ほら、このファイルを見てみなさい。これは辞めた人間達の履歴書。君はこの負け組に入りたいのか?」「君は嘘つきだ。私は嘘をついたことがない。だから世の中の人全員に信頼されている。私のような人間になりなさい。君の目は嘘つきの目だ。」
 僕は、かつて自分の心が壊れた経験から、心のヒットポイントが残り少なくなっているのを感じた。この仕事も一年半で辞めた。

[3]罪悪感の正体
 二度長続きせず仕事を辞めるというのは、何故か僕の心に罪悪感をもたらした。僕は本当に社会に、生きているということ全てに、適性がないのではないか。そんなことを毎日考えていた。むしろ今もそうだったりする。
 なんで僕だけこんな目に…、と考えていたものの、他責ばかりにはできず、罪悪感に潜む負い目が瞼の裏からやってくる日々が続いている。僕は誠実な人間ではないし、確かに嘘もついたりするし、ずるいことだってしている。そういった負い目が束になって、ブラック企業となって現実に立ち現れたのかもしれない。全てが因果応報であるならば、この経験は僕の考えや行動がもたらした結果なのかもしれない。
 そういう心の足枷は消えないけれど、なんとか今の生き方に活かすしかない。傷は傷だし、今は今でしかない。足枷を引き摺りながら生きる日々はこれからも続く。

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