見出し画像

白孔雀のスープ

地中深くに眠る鸚鵡螺化石〈アンモナイト〉が、金になるほど、山羊の角が水晶になるほど遠い昔のお話です。
大変に子供っぽく残酷で、享楽に事欠かない支那の大国の王様がいました。
血に飢えた大虎が入った檻の上で、ひらひらとした衣装の踊り子を踊らせ、虎の鋼のような鉤爪で踊り子の領布〈ひれ〉や裳裾がずたずたに引き裂かれていく様子を、虫を観察する子供のように、飽きずに見ていたり、踊り子の傷ついた足から流れる血の匂いで余計に興奮した虎が、獲物に食いつけない事が分かって苛苛しているのを楽しんでみたり……。
この時に、踊り子には白い繻子〈しゅす〉織りの靴を履かせていたのですが、踊り終わり満身創痍で、檻の上から降りてきた踊り子の、白くてらてらと輝く靴は、己の血で真っ赤に染まっていました。それを見た王様は、この靴を自身のお気に入りのものしかしまわない、蝙蝠の金細工や取っ手がついた抽斗に後生大事にしまって、女の纏足を見つめて酒の肴にする貴族のように、時々出して眺める事がありました。
牡丹を乾燥させたものを特注の硝子の銚釐〈ちろり〉に入れて、お湯の中で花開く様子を目で楽しみ、花の王の工芸茶の味で舌の上でも楽しみました。
盛りの藤の花を天麩羅にさせたものや、鰐〈わに〉の前足の肉を焼いたものを好んだり、月下美人の花で汁物〈スープ〉を作らせ、それを飲んだりしていました。
鉱山の中で五百年ほど眠り、大きな図体になった翡翠の塊を、惜しげも無く粉々に割って、その破片で職人達に簪や首輪、指輪、耳環なんかを作らせ、百人もの愛妾達に、贈り物として賜りました。
珍しい白い孔雀が産まれた、と聞くと、恐ろしい人喰い虎がすぐそこに潜んでいるかもしれない密林に、何百人もの猛者達をやり、白い羽毛が見事な孔雀を生け捕りにするように命じました。
白い孔雀は、鉄柵の中で牢獄に繋がれている、白い着物の囚人貴妃のような有様でしたが、極彩色の毛並みの孔雀が蝉の幼虫の抜殻だと思えるぐらいに、美しいものでした。
本当に、白い孔雀は羽化したての空蝉の羽を持つ昆虫のように、素晴らしい生き物だったのです。
王様は、その白い孔雀を飽きるほど、眺めました。
来る日も来る日も、構ってもらえずに痺れを切らした愛妾達や踊り子が、人恋しい猫のように身をくねらせて、あれこれと誘惑してくるのも、衛兵にさっさとつまみだせと命じて、相手にしませんでした。
あるものは悲しんでそのまま王宮を去り、故郷に帰ったり、あるものは他の豪商の男や詩人と遊んで、あるものは呪術師に媚薬を作らせたり、王様の目が自分に向くように色々と呪い〈まじない〉をやらせたりするものもおりました。
中には、自分のものにならないのなら、いっそ.......と、蜥蜴の干物を燻した煙で王様が死ぬような呪いを〈のろい〉をかけさせたものもおりましたが、白い羽毛の魅力に夢中になっている王様には、そんなもの焼石に水をかけるようなものでした。
占い師の中には、白い獣は神の使いであるため、国を上げてお祝いをするべきだ、というものもおり、
呪術師の中には、世を転変させ災厄を招く凶兆の印だと言って、黒犬に噛み殺させるべきだと言って憚りませんでした。
そのどちらの意見も、王様にとっては自分だけの白い孔雀が目の前から居なくなってしまう事を意味しているため、熱心に諌言してくる大臣も相手にしませんでした。
ある晩、王様は一人で、檻の中に入った白い孔雀を眺めていました。
桃の仙女に、湧泉のような青春を飲まされた塩梅で、酒に酔った蟒蛇〈うわばみ〉か大虎のように、いい心地でした。
白い孔雀は、玻璃窓から入ってくる月の光で、象牙のように光っておりました。
そこで、白い孔雀と目が合いました。
孔雀の目は、これまで見たどんな猛獣よりも勇ましく、どんな愛玩犬よりも可愛らしく、どんな美女達よりも艶めかしく、どんな美術品よりも美しいものでした。
この世の徳とされる美しさを、全てその瞳にかき集めて出来た、黒真珠の宝玉ようでした。
「瞳は黒真珠で、体は淡雪の糸を星媛〈ほしひめ〉が織った羽毛のようだ。三国中を探しても、これほどの美女はおるまい」
王様は、まるで器量も気立てもいい自分の娘を、周囲に誇らしい顔で自慢している父親のような、ある種の健全な気持ちよさが、体に満ちる感覚がしました。
「あなたは、世の楽しい出来事をすべて満喫して、美食を平らげたと思い込んでいるようだけれども、そんなものは勘違いも甚だしいわ」
王様は、いきなりした美しい声に、ははぁこりゃあどうやら、気付かぬうちに一人、夢の中に入ってしまったようだわい、と思いました。
「いいえ、夢などではありませんわ。貴方には私の声が聞こえているはずです」
声の主は、どうやら白い孔雀のようでした。
宝石箱の中身の、真珠玉や宝石や金銀の小間物を転がしたような、星の凍え震える光のような、ピンと張った二胡の弦を、指でなぞった時のような、美しく軽やかであるけれど、とこか張りつめた声でした。
王様は、稀に見る白い羽毛なのだから、このような神通力を宿していても不思議ではない、と自分でも白い孔雀が喋りだしたことよりも、それに驚かなかった自分に、驚きました。
「ほう、お前はこの私に向かってそんなことを言うのだな。ならばこの私にまだ、一体なんの享楽が待ち構えているというのだね」
「知りたいならば、まず私をこの牢から解き放ってくださいまし。安心なさい、逃げたりは致しません」
王様は、言われた通りに檻の錠と扉を開け、従僕が招かれた貴婦人にそうするように、こちらへ出てきてごらん、と手で示しました。
白い孔雀は、水が流れるようにするり、と王様の前まで進み出ました。
長い尾羽が檻の鉄柵に触れて、白絹の布が衣擦れするような音がしましたが、不思議なことに、足音は見えない魔物に食われたように、全くしませんでした。
白い孔雀は、窓までひとひと歩いていくと、月光の中で思い切り、沙羅〈しゃら〉りと尾羽を広げました。
その様子は、笑いを隠しきれない婦女が、自身の歪な形となった朱唇を隠すために、白鳥の羽でできた扇子を広げたのを、限りなく大きくしたようでした。
「全く見事な、國中の絵師にこれを見せて描かせても、本物のお前には適うはずがない」
白い孔雀は、毒蛇をも怯まず飲み込む嘴で、可笑しそうにけらけら笑いました。
「私が、月の玉兎殿から教わった天女の舞をお見せいたしましょう」
そう言うと、白い孔雀は羽を広げながらあっちへ飛んだり、足を黄金比に曲げてこっちへ跳ねたり、自慢の尾羽を広げながら、一回転をしたりと、それはそれは、本当に見事な舞を披露しました。
王様は、体から抜け出た魂がその場に縫い付けられたように動けなくなり、見入っているしかありませんでした。
それは、白絹の衣を何重にも纏った天女が踊っている、そんな光景そのものでした。
千年を生き、仙の仲間入りをした鶴を何匹集めても、西王母の蟠桃会で踊り狂う花の精を集めても、龍宮の踊りの子人魚や南国の魚達を何全匹集めても、この白い孔雀の舞にはかなわないだろう、と思われました。
王様は、傍らの酒をちびちびやりながら、白い孔雀の舞を見物していました。
春に王宮で開かれる万年桜の花見であっても、これほどの煌びやかな衣装を纏った踊りの名手は、出会ったことはありません。
のびのびとした舞を披露した白い孔雀は、踊り終わると、今度は月から響くような孤独な鳴き声で、唄を歌いました。

ー波璃と薄氷〈はくひょう〉の柩に眠る、貴方はだあれ。
そんなに冷たい顔をして、一体誰が、貴方に接吻してくれる?
蓋を開けようとする誰もが、指先を霜の花に焼かれて、貴方はずっと冷たい檻の中だわ。
例え、接吻出来たとしても、貴方の唇は月よりも、象牙よりも、水晶よりも、氷の華より凍てついて、触れた途端に、皆が石よ。
そんなに哀れな姿になって、貴方はなんて冷たい呪いを受けたの。
貴方は、誰の怒りを買ったというの。
手向けに花を贈っても、貴方の上で、すべて霜に焼かれて、枯れしてしまうわ。
玉の簪、貴方の御髪に挿してあげたいと思うけど、
凍てついた、波璃の蓋の前では折れてしまったわ
翡翠の首飾り、貴方の首に通してあげたいと思うけど、絹紐は、寒さに耐えきれずに、全ての珠は弾け飛んでしまったわ
琅玕の耳環、あなたの可愛い小さな耳に、付けてあげたいと思うけど、蓋に落した二つの飾り、凍てついて、取れなくなってしまったわ。
嗚呼、どうして誰一人、貴方の隣に居られないの
貴方は、霧深い彼岸で一体何を思ってる?
冷たい柩の中は、永遠に時が止まったようだわ。
櫃〈はこ〉の氷は、貴方を中に閉じ込めたまま、ずぅっと溶けず、永遠に貴方を離さないつもりよ。
嗚呼、どうして神様は、こんなに非道い事をお許しになるの。
冷たい世界でただ一人、変わらずにいる貴方を、
老いる私は見つめていろ、と言うのー

そこまで言って、白い孔雀は終わりの合図のように、尾羽を淑やかに閉じました。
「いやはや、素晴らしい。踊りの才も、唄の才もあるとは。そなたはまっこと、神が掌で魂を捏ねて生み出した、獣のようだ」
王様は、これまで誰にも言ったことがないような、褒めそやす言葉を口にしました。
腹が満ちて、いい心地で微睡んでいる獅子よりも、上機嫌な様子の王様に、白い孔雀は言いました。
「貴方はこれで満足したようですけれども、私にはまだ取っておきなものが、一つ残っておりますの」
「ほう、それはなんだ」
王様は、これ以上のものがまだ残っている事に、驚きと興味が混ざった声で聞きました。
「私を、それはそれは熱い湯の中で煮てください。私の肉が全て蕩けるくらいまで」
王様は、面食らって、盃の中のお酒を全て零しそうになりました。
「何を言う。それでは、もうお前の歌声も、踊りも楽しめなくなるではないか」
「いいえ、いいえ、王様。あんなものは序の口にしか過ぎないのです。私の肉を口にすれば、あんなものは象の前の蟻と同じものだと、合点しますでしょう。」
「私の生き血も、肉も、魂も、一切合切溶け切った汁物を飲めば、きっと貴方は心の底から満足する事が出来ます」
白い孔雀は、自分の命を差し出すというのに、全く恐れのない瞳で言ったものですから、王様はなにかを薄ら寒いものを感じました。
けれども、白い孔雀の嘴から「本当の満足」という言葉が出てしまったので、その汁物の味が気になって気になって仕方ありません。
「ご安心を、王様。貴方に手間はかけさせません」
そう言うと白い孔雀は、月明かりで出来た自分の影の心の臓あたりに、鋭い嘴で一突きしました。
すると、影も影の元の白い孔雀も、血泡を吹いて倒れ込みました。
王様は、首を切られた鶏が、首から血を吹き出しながら、頭のない身体の神経の反射で、そこらを駆け回るような、そのような惨い有様ではなく、まるでその身を穢されぬように、と天にいる夫を追って、自害した貴婦人のように、気高い有様で死んだ光景を、忘れることは出来ないだろう、と思いました。
翌日、王様は料理人に死んだ孔雀を差し出して、これを料理人せよ、と命じました。
料理人は、何も言わずに、厨房へと向かいましたが、その場を見ていた家来達は、あんなに必死な思いで狩ってきた白い孔雀を、気まぐれで殺した上に、料理せよ、という王様は、本当にとても我儘で恐ろしい存在だ、と思いました。
王様の前に出された汁物の色は、上等な小麦を百に束ねたような、蜂蜜をかけた琥珀のような、蕩けた真夏の太陽の色をしていました。
王様は、生唾を飲んだ音を出して、器の縁に口をつけ、いよいよ汁物を口に含みました。
一口飲んで、太陽の熱波を皮膜として作った酥が、舌の上で柔らかく溶けて、春の陽の暖かさが口から前身に広がるような感覚がして、これが本当の満足か、これは本当に良いものだ、と思いました。
もう一口、一口と口に含む度に、もっと濃く暖かい心地良さが、全身に何重にも広がり、足元から蕩けてしまいそうになりました。
周りに居た家来達も、まるで母の腕に抱かれた幼子のように安心している顔の王様を見て、虫の居所が悪い時は、誰彼構わず、ところ構わず暴れ散らす凶暴な豹のような王さまを、こんな表情にさせてくれるこの汁物は、一体どんな味なのだろう、きっと天上の帝の御膳に出されるような、お味に違いない、と思いを巡らせました。
それから数日間というもの、王さまは春の陽気を身に纏ったような塩梅で、下女の一人が高価な舶来の壺を割っても、今度は気をつけよ、と注意するだけで済ました様子を、周りの家来は口を開けているしかありませんでした。
前の残忍な王様であったなら、罰として毒蛇が百匹も千匹もいる洞窟にお前を放り込んでやる、と本気でなくとも口にし、粗相をしたものを怖がらせていたでしょう。
けれども、そんな日は長くは続きませんでした。
二日、三日と経つと、元の我儘で残忍で凶暴な性格が舞い戻ってきたのです。
それと同じく、あの白い孔雀の汁物の味が忘れられなくなり、王様は、阿片中毒者のように目を血走らせ、狂犬〈たぶれいぬ〉のように濁った涎を垂らしながら、白い孔雀が元いた密林を、もう一度家来や猛者達に探させました。
けれども、どうやら白い孔雀はあの一羽だけのようでした。
砂の中の針を探すように、何千人もの家来が探しても探しても、白い孔雀は見つからなかったのです。
それでもなんとか、普通の青緑の羽毛が生えた体に、白い斑点を持つ孔雀は見つかりましたので、家来は白い孔雀と同じように檻に入れて、王様にこれを献上しました。
王様は、これはあやつと普通の孔雀の間に出来た子供かもしれぬ、とも思いましたが、もはやそんな事はどうでもいい些末なものでした。
それよりも、親子おわせて余の腹の中で合わせてやった方が人情というものだ、と独りごちました。
純白ではなく霙〈みぞれ〉模様の鳥を少々不服な顔で眺め、料理人にはこれを絞めて、早く汁物を作れ、と命令しました。
料理人が、注文通りに拵えた汁物を見て、王様はまた麝香が充ちたような恍惚とした空気に、包まれたようでした。
金が溶けたような黄金色のスープの水面に、油の虹色の膜が反射し、神様のみが食べるのを許された食物のようでした。
王様は、酒に溺れたもののように震える手で匙をとり、一口掬って口へと運びました。
王様は、舌の中に美味が弾ける音がして、涙を流しかけましたが、二口三口と進むうちに、その感覚は薄れていきました。
あの白い孔雀の汁物と比べると、そう、肉の出汁元の羽毛の色と同じように、ちょうど半分ぐらいの美味しさしかなかったのです。
王様は、器の中の汁が半分残ったところで匙を置き、項垂れてしまいました。
料理人は、なにかをしでかして自分は打首にされてしまう、もしや入れる調味料を間違えてしまったのか、と勘違いをしました。
それから、王様は國中から珍味な食材を商っているものを探し出し、余の舌にかなうものを差し出せ、
これを叶え、余の舌を満足させたものは、褒美を出そう、と言いました。
商人たちは、血眼になって世界中のありとあらゆる珍味や美味を探し出しました。
猿の蒸し焼きに、黄金虫の粉を団子にしたもの、極楽鳥の姿焼きに、黒山羊の角を削った粉を入れた寒天、七つ首の大蛇の刺身に、紗莉芥子をあしらった南国の水菓子〈くだもの〉、蓮の葉で包んだ米を蒸したものに、雉の鞣革のような足を焼いたものに、狐の尻尾の肉に香草を巻き付けたもの、河馬や象の挽肉を混ぜ合わせて、肉団子にしたもの、・・・。
けれども、そのどれもが王様の舌を唸らせる程度のものではありませんでした。
王様が行うべき政〈まつりごと〉は、もうとっくの昔にほうっておかれ、国も荒れ果てていました。
それでももう一度、あの不老不死の妙薬のような肉の味が忘れられない王様は、商人たちを怒鳴りつけたり、見せしめに拷問をして、憂さを晴らしていました。
けれども、ある日とうとう気がついたのです。
「なんだ、目の前にあるじゃないか、まだ食べていないものが」
最初は、料理人にその「材料」の息の根を止めるように命じたのですが、料理人は猫の前に出される鼠のように嫌がったので、有無を言わずに処刑しました。
そこで、武芸に秀で、どんな事があろうとも忠実に命令をこなす冷徹な臣に、その材料を斬らせ、その臣に料理も任せました。
その汁物を一口含んだ王様は、こう言いました。
「おお、なんとも上手い。あの白い孔雀の肉の味に、勝るとも劣らぬ味」
箍の外れた王様は、王宮にいる材料を一つずつ啄んでいきました。
王宮に誰もいなくなると、今度は城下町の方まで手を伸ばし、その城下町に誰もいなくなると、もっと
外の方まで、どんどん魔の手を広めました。
「産まれたばかりの嬰児〈あかご〉や、年端のいかない娘の、なんと美味いこと」
だれも居なくなった王宮に、狂った眼をした王様の独り言だけが、廃墟に居座る風のように、虚しく響き渡りました。
こうして、このとある支那の大国は、滅んでしまったそうなのです。

画像はこちらからお借りしました。↓ <a href="https://www.photo-ac.com/profile/1350596">kasa360</a>さんによる<a href="https://www.photo-ac.com/">写真AC</a>からの写真

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?