労働判例を読む#515
※ 司法試験考査委員(労働法)
【地公災基金熊本県支部長(農業研究センター)事件】(熊本地判R5.1.27労判1290.5)
この事案は、実際に豚の飼育をしながら、飼育方法などを研究していた施設Kに勤務していた職員Aが、敗血症によって死亡したが、Aの遺族が、これは豚から人間に感染するロドコッカス・エクイ菌によるものであり、業務上の疾病であると主張して、労災の支給を求めたのに対し、労基署Yは、Aが元々有していた素因(免疫対価状態)が原因であって、業務起因性(因果関係)が認められないとして、労災に該当しないと判断した事案です。Yの判断が誤っている(したがって、決定の取り消しを求める≒労災支給決定をする)ことを求め、Xが訴訟を提起したところ、裁判所はXの主張を認めました。
1.ロドコッカス・エクイ菌の感染経路
Yは、感染防止のために様々な措置が講じられていた(マスクの着用など)ことから、豚の飼育に伴う作業を通して感染したのではない、と主張しましたが、裁判所はこれを否定しました。それは、ロドコッカス・エクイ菌が繁殖しやすい箇所(飼育環境、土壌)に日常的に接触していて、日常的にこれを吸入し得る状態にあったこと、感染防止措置も徹底されていなかったこと、職場以外で豚やロドコッカス・エクイ菌が繁殖しやすい箇所への接触が無いこと、複数の医師の意見書で業務を通して感染したと評価していること、等が理由となります。
疑われる原因である可能性が高く、他の原因が想定できない、という事実を認定する方法は、原因認定の際によく用いられる方法であり、ここでの判断は合理的でしょう。
2.Aの素因とロドコッカス・エクイ菌の関係
問題は、敗血症に至る原因が、Aの素因によるのか、ロドコッカス・エクイ菌によるのか、という点です。どちらか一方だけが原因、とは言えないので、オールオアナッシングの選択の問題ではなく、いずれの影響の方が大きいのか、という程度の問題です。しかも、複数の医師の意見書が、異なる見解を示しており、専門家から見ても評価が分かれる問題です。
結果的に、ロドコッカス・エクイ菌が原因ではない、とする2つの意見書の結果ではなく、ロドコッカス・エクイ菌が原因である、とする2つの意見書の結果を採用したことになりますが、そこでは、裁判所も医学的に相当踏み込んだ判断をしています。
すなわち、両者の内容を比較する前に、ロドコッカス・エクイ菌が原因となりうることを認定しています。すなわち、ロドコッカス・エクイ菌がAの体内から検出されたこと、ロドコッカス・エクイ菌は免疫力が低下している場合だけでなく健常者も感染し得ること、が認定されました。
そのうえで、医師の意見書の比較検討が行われています。
まず、ロドコッカス・エクイ菌が原因とする2つの意見書から、特に注目されるポイントを指摘しています。すなわち、ロドコッカス・エクイ菌への曝露量が大きいことからAの素因の影響は小さいと評価できる点、Aの素因も、うがいや手洗いの励行で対応可能であって、日常生活や就労の制限が必要でなく、実際に制限がされていなかった点、を指摘しています。
次に、ロドコッカス・エクイ菌が原因ではないとする2つの意見書について、医学的な反論を行っています。すなわち、白血球数、ヘモグロビン値、甲骨髄球値、など様々な数値の推移を検討し、免疫力が低下した状態(Aの素因)であり、健康な状態とは言えなくても、安定はしていた、と認定し、Aの素因の「影響した程度が高いものとはいえ(ない)」と評価しました。
このように、医学的な見解が対立する場面で、裁判所は医学的な観点から検討を行い、言わば正面からこの問題に対して判断を下しています。随分と勉強したはずで、頭が下がります。
3.実務上のポイント
労働問題に関する事案だけでなく、交通事故や医療過誤など、様々な分野で、医学的な論点が争われることがあります。原告と被告双方から、医学的な意見書が出されることが多くありますが、医学的な意見書が提出されるだけでは足りず、相手方の意見書の内容が医学的に誤っていることまで証明できなければならない、ということが理解できます。実務上、医師に診断書の作成を依頼する際、相手側の意見書への反論も、(それが同時なのか、後で追加で行うのか、は状況に応じます)お願いしておかなければならない、という点が、訴訟などの対応におけるポイントになります。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
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