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労働判例を読む#397

今日の労働判例
【国・岩見沢労基署長(元気寿司)事件】(札幌高判R3.9.17労判1262.5)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、飲食店のトイレで、過剰に使用された殺虫剤のふき取り作業をしていた従業員Xが、約30分の作業後、吐き気、めまい、その後さらに、頭痛、肩の筋肉の硬直、喉の腫れ、舌のしびれ、下痢、頭がぼうっとする、蕁麻疹による皮膚のかゆみ、情緒不安定などの症状を訴えるようになり、作業直後には「塩素ガス中毒」、その後「化学物質過敏症」と診断され、労災を申請したものです。
 労基署Yと1審は労災認定しませんでしたが、2審は労災認定しました。

1.1審
 1審と2審の判断が分かれた主な理由は、判断枠組みと、証明の方法にあるようです。
 まず判断枠組みですが、1審は「慢性的な健康被害を生じさせるに足る程度の量の化学物質に被爆したか否か」を判断枠組みとしました。ここで特に注目されるのは、「化学物質」の「量」という定量的な基準を設定したことと、それが健康被害を引き起こすという積極的な関係性を必要としている点です。これは、2審の用いた表現である、「発症の原因とその機序が確立した医学的知見により説明できる場合」を具体的にしたものと評価できるでしょう。
 次に証明の方法ですが、1審では、当該殺虫剤の主成分である次亜塩素酸ナトリウムについて、それにより慢性症状が出現した症例や文献がない、等の理由で原因にならないとしました。また、これから発生する塩素ガスについても、アメリカの研究に基づいて、2.8ppmの塩素に10分間被爆すると不可逆的・長期的な健康被害の可能性がある、として科学的な関係を具体的な数値で測定する基準を示しつつ、この濃度を超える塩素を吸入したとする再現実験の不合理性(窓が開いていた、など)を指摘して、同様に原因にならない、としました。
 このように、科学的に因果関係のあることを説明できなければならない、というのが、1審の判断の基本的な考え方のようです。

2.2審
 まず判断枠組ですが、これに対して2審は、まず抽象的なレベルでの業務起因性の考え方として、「当該疾病等が当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化」したものかどうかで判断する、としました。そのうえで、有名な「東大ルンバール事件」最高裁判決(同S50.10.24)等の「自然科学的証明ではなく、…通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るもの」かどうかを基準にする、という表現を引用しています。さらにここから、上記のような「発症の原因とその機序が確立した医学的知見により説明できる場合」に限定されない、としたうえで、(明示はしていないものの)以下の3つの観点から、因果関係の存在を認めました。
① 当該殺虫剤との関係
 2審は、医学的にXの症状の発症機序は確定できなくても、化学物質過敏症の症状や時期、経過に医学的矛盾がなければ、当該殺虫剤が原因であったと評価できるような説明をしています。
② 他の有害因子
 さらに、他の有害因子が存在するかどうかを問題にしています。
③ 心因性の要因
 さらに、心因性の要因が存在するかどうかを問題にしています。
 このように整理してみると、2審の判断枠組みは、精神障害の業務起因性に関する判断枠組みと同様の構造であることが理解できます。
 すなわち、精神障害の業務起因性は、厚労省のホームページからそのパンフレットを簡単に入手できますが、業務の危険性が現実化したかどうか、という視点をベースにしています。そのうえで、業務上のストレス、業務外(家庭など)のストレス、個人の事情(個人の弱さなど)の3つの観点から判断するとしています。この3つの観点が、①~③にそれぞれ対応するように思われるのです。
 次に証明の方法です。
 2審は、1審と異なり、塩素ガスよりも次亜塩素酸ナトリウムの方が主な原因である(塩素ガスは揮発性が高く、また現場の状況から塩素ガスが大量に発生したように思われないなど)とし、本件殺虫剤を直接拭き取っていたのだから相当量の被曝があったはずであって、その直後から現れた症状が次亜塩素酸ナトリウムの中毒症状と「矛盾しない」点を、①該当の理由としています。
 特定の化学物質から特定の症状が引き起こされたことを証明するのではなく、特定の症状が特定の化学物質によって引き起こされたことが医学的に矛盾しない、という認定です。
 このような2審の判断構造(判断枠組みと証明の方法)は、例えば事実上の推定と似た面があります。すなわち、証明対象が、特定の化学的に証明された因果関係それ自体ではなく、医学的に矛盾のない程度の症状があるかどうかという点に設定されており(①)、これが満たされれば因果関係が事実上推定され、因果関係を否定する側(Y)が、この推定を覆すべき事情(②③)を証明しなければならない、という構造にも見えるのです。

3.実務上のポイント
 あるいは、2審の判断構造は、結局のところ因果関係が不要とされることと同じではないか、疑わしいレベルで労災を認めてしまうのであれば、刑法の概念で言うところの「結果犯」ではなく「未遂犯」「危険犯」と同じではないか、という感想を持つ人がいるかもしれません。
 けれども、科学的に厳密な証明が必要ではない、という点は既に確立したルールです。そのうえで、精神障害の業務起因性のように、業務上の要因が主要因であれば業務の危険が顕在化したものとして因果関係を認める、という判断枠組みも、少なくとも精神障害(さらに、脳・心臓疾患)について確立したルールと言えるでしょう。ここで示された2審の判断構造は、このように既に確立したルールを化学物質による疾病に応用したものと評価できそうです。
 そうであるならば、化学物質に関する労災について、今後2審と同様の判断構造で判断される可能性は決して低くない、と思われます。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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