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伊藤詩織さん勝訴 なぜ彼女は傷だらけで過酷な戦いをしなくてはならなかったのか

■ 被害者を励ます判決 2年間の変化
 12月18日、このニュースは大きく報道されました。

   望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして、ジャーナリストの伊藤詩織氏(30)が元TBS記者の山口敬之氏(53)に1100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は18日、伊藤氏の訴えを認めて山口氏に330万円の支払いを命じた。鈴木昭洋裁判長は「酩酊(めいてい)状態で意識のない伊藤氏に対し、合意がないまま性行為に及んだ」と認めた。

   出典:朝日新聞
 

  思えば、2017年5月、伊藤詩織さんが初めてこの事件について会見をした際、主要メディアは彼女の会見を冷ややかに黙殺しました。

 告発の相手が著名ジャーナリストであったため、告発すれば日本ではジャーナリストとして活動できないのではないか、というリスクを覚悟の上で、詩織さんは被害を「なかったことにしたくない」と被害を告発しました。しかし、一度は山口氏への逮捕状が発行されながら直前で逮捕が取りやめになった挙句、不起訴という結論を突きつけられました(伊藤詩織氏「ブラックボックス」より)。

 検察審査会に判断の再考を求めたのに、結論は「不起訴相当」。普通であれば心が折れてしまう、襲いかかる試練の数々にもかかわらず、彼女は諦めないで戦うことを選び、民事訴訟に挑みました。しかも、実名、顔出しで被害を訴え、本まで出版して社会に問題提起をしました。日本で初めて#MeTooの声を上げた女性として注目を浴び、彼女は戦ってきたのです。

 様々な苦難に屈しない彼女の勇気あるひたむきな訴えは、多くの人の心をゆすぶり、性被害を体験し苦しんできた人たちに希望を灯し、彼女の事件はメディアも無視できない社会問題ー個人的な問題ではなく社会の問題ーとなったのです。

 彼女の訴えを認めた今回の判決は、同様の被害にあいながらも「なかったこと」にされてきた被害経験を持つ人たちをも励ます結論となりました。

 被告側が控訴すると伝えられていますが、詩織さんも言う通り、この判決は彼女の戦い、そしてそれを応援してきた人々や被害当事者にとっても貴重なマイルストーンと言えるでしょう。

■ 性行為が同意に基づかないとの判断
 この事件の判決は性行為に原告である詩織さんの同意があったのか否かを争点とし、

被告が、酩酊状態にあって意識のない原告に対し、原告の合意のないまま本件行為に及んだ事実、及び原告が意識を回復して性行為を拒絶した後も原告の体を押さえつけて性行為を継続しようとした事実を認めることができる。

と結論を出しています。

 被告である山口氏の供述の信用性が否定された主な理由は、判決によれば、 山口氏が行為の直前にどのベッドにいたか、詩織さんがどのように行動したかなどの弁解について、供述の矛盾変遷があることです。判決は 山口氏の供述について

本件行為の直接の原因となった直近の原告の言動という核心部分について不合理に変遷しており、その信用性には重大な疑念がある。

と評価しました。

 一方、判決が、被害者心理に細やかに配慮した丁寧な認定をしていることも注目されます。

 例えば、判決では詩織さんが行為後シャワーを浴びることもなく朝5時50分にホテルを出てタクシーで帰宅をしたことを指摘し、「これら原告の行動は原告が被告との間で合意のもとに本件行為に及んだ後の行動としては不自然に性急であり、本件ホテルから一刻も早く立ち去ろうとするための行動であったというのが自然」としています。

 また、同じ日にアフターピルの処方を受けていることについて、「避妊することなく行われた本件行為が原告の予期しないものであったことを裏付ける事情」とし、その後、詩織さんが友人に相談したり警察に被害相談をしたことについて「本件行為が原告の意思に反して行われたものであることを裏付ける」としています。

 被告側から、詩織さんの行動は性被害者として不合理だなどという「レイプ神話」を絵にかいたような批判が展開されていますが、裁判所が「レイプ神話」に乗ることなく判断したことは評価できます。こうした判断が今後も司法の場で定着してほしいものです。

■ 山口氏による名誉棄損、プライバシー権利侵害の反訴を棄却
 本件では、詩織さんが被害にあった事実について、記者会見を開いたり、著書を出したりして被害を訴えたのに対し、山口氏は、性行為は同意していて名誉やプライバシーを傷つけられたとして、逆に1億3000万円の賠償を求めていました。

 被害者に対しては非常にプレッシャーとなるこのような反訴請求に対する裁判所の判断が注目されましたが、裁判所はこれをいずれも認めませんでした。なぜか。判決は、

 「原告は、自らが体験した本件行為及びその後の経緯を明らかにし、広く社会で議論をすることが、性犯罪の被害者を取り巻く法的又は社会的状況の改善につながるとして」詩織さんがこうした公表をしたことが認められると認定。詩織さんの一連の発信は「公共の利益に係る事実につき、専ら公益を図る目的で表現されたものと認めるのが相当である」と判示、そのうえで、詩織さんの一連の発言はいずれも真実であるため、名誉棄損を構成しないと判断しました。

 また、プライバシー権(詩織さんと山口氏のメールのやり取りの公表)については、同様に詩織さんの発信が「原告は、性犯罪の被害者を取り巻く法的又は社会的状況を改善すべく、自らが体験した性的被害として本件行為を公表する行為には、公共性及び公益目的がある」としたうえで、「原告の上記行為は、社会生活上受忍の限度を超えて被告のプライバシーを侵害するものであるとは認められない」としています。

 詩織さんの性被害について公表することは、山口氏の性行為に関するプライバシーを公開することにはなるものの、詩織さんが社会に問題提起をするために自らの被害を語ることのほうが、プライバシーよりも優越的な価値があるとする判断であり、非常に重要な判断であると思います。

 被害者は沈黙しなくてよい、「声を上げていい」というメッセージを、私は判決から読み取りました。

■ なぜ彼女は傷だらけで過酷な戦いをしなくてはならなかったのか 


 詩織さんの道のりは苦難に満ちたものでした。洪水のような誹謗中傷にあい、日本で生活することが困難になり、イギリスに拠点を移さなければならなかったのです。

 本件が政治的色彩を帯びた形で報道されたり、取り上げられがちであったことで、バッシングが加速したという事案の特異性は確かにあったでしょう。

 しかし、21世紀にもなってこれほどの深刻なセカンドレイプ、誹謗中傷に被害者が晒されるというのは、本当に恥ずかしいことであり、日本社会の人権感覚を立ち止まって考えるべきではないでしょうか?

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2018年2月講演する詩織さん(筆者撮影)
 詩織さんには、「仕事が欲しくて自分から山口氏に接近した」ひどいものでは「ハニートラップ」「枕営業」などという非難がされました。

 しかし、若い意欲のあるビジネスパーソンが同業の先輩に教えを請うたり、就職の相談に乗ってもらうのは普通のことであり、男性であれば何ら非難されないし、そのために性被害にあうことも稀でしょう。そうした機会に地位を利用して同意のない性行為やセクハラをするのは加害者側こそが責められるべきであり、被害者を責めてはならないのは当然のことではないでしょうか?

 すでに日本ではセクハラが違法行為であると90年代から議論され、1999年に雇用機会均等法に雇用主のセクシュアルハラスメント防止の配慮義務が導入され、2007年には「措置義務」というより重い責任が課されています。それなのに、いつまで被害者を責める風潮が続くのでしょうか?

 また、彼女の困難な戦いの背景には、性被害をめぐる日本の遅れた法制度も大きく関係しています。

 今回の判決は、詩織さんへの同意なき性行為を不法行為と認定し、被告である山口氏に賠償を命じました。

 一方、日本の刑法では性犯罪成立に、暴行、脅迫、抗拒不能などの厳しい要件が求められ、これら厳しい要件が多くの事案で起訴を阻んでいます。

 現行刑法では、同意なき性行為をしたことだけでは犯罪とされず、起訴されないのです。

 このため、性被害の当事者は、刑事事件の捜査で暴行、脅迫、抗拒不能などを証明する確実な証拠の提示を求められ、こうした証拠がないとみなされれば立件も起訴もされず、その後も何らのフォローもありません。刑事手続では、なぜ不起訴だったのかについて理由や事実認定の根拠も公表されません。救済を受けるには失意の中、手探り状態で、自ら民事裁判を起こさなければならないのです。

 こうした状況で、被害をオープンにした詩織さんのケースでは、「不起訴になったのだから被害はないに違いない」「でっちあげではないか」「何か別の意図で山口氏を攻撃しているのではないか?」といった不当な憶測や誤解を呼び、被害者バッシングを加速させる結果につながったのではないでしょうか?不起訴でなければ、1億を超す名誉棄損の訴訟が提起されることもなかったのではないでしょうか?

 詩織さんはこうした誹謗中傷に黙って耐え、民事判決がすべてを証明するのを待つしかなかったのです。

 諸外国では同意なき性行為そのものに可罰的違法性が認められるようになりつつあり、イギリス、ドイツ、スウェーデン、米国ニューヨーク州などでは、暴行脅迫などの要件がなくとも、不同意の性交をした者は処罰されます。近年こうした法改正が世界的に相次いでいます。

 10か国調査報告書

 このような国際的な趨勢から遅れた日本の法律のせいで、詩織さんは、納得できない「不起訴」という結論を突き付けられ、ひどい誹謗中傷を浴びせられ、非常に過酷な戦いを強いられました。彼女の行動は英雄的ですが、これからもすべての被害者は再び同じ道を歩まなければならないのでしょうか?

 かくも過酷な戦いをしなければ被害者は救済を得られない、これからもそれでよいのでしょうか?

 詩織さんは「話さなかったら誰かが同じ目にあう」という思いで事実を公表しました。

 詩織さんが名誉棄損というリスクを冒してまで戦ってきたのは、自分と同じ思いをする人はもう出てほしくないという思いからです。

 社会はこの思いに応えられるでしょうか?

 この判決を契機に刑法改正を早急に検討すべきです。

 法改正の方向については、すでに市民団体が共同して法改正案を提案しています。

 被害者の強い思いを受け、市民団体が不同意性交処罰等・刑法性犯罪規定改正案を公表。今こそ議論を。

 2020年は2017年刑法性犯罪規定改正の3年後見直しの年であり、多くの人に議論に参加し、改正への後押しをしてほしいと願います。

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