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中里見先生の意見書

私がAV事業者から訴えられている名誉棄損訴訟で、憲法学者の中里見博先生が東京高裁に意見書を提出してくださいました。非常に心強く感謝申し上げます。

ジェンダーやポルノグラフィーに取り組んでこられた先生の意見であり、是非、多くの方に読んでいただけましたら嬉しいです。

裁判についてはこちらを見ていただければと思います。次回期日は8月3日の予定です。


                                          意 見 書

2020年3月1日


                 大阪電気通信大学教授
                                                                    中里見 博

【目次】
はじめに
1.表現の自由への「萎縮効果」除去論
2.「過度の広汎性の理論」と萎縮効果除去論
3.名誉毀損の免責基準と萎縮効果除去論
4.本件投稿が名誉毀損に当たるとの判断への疑問
(1)本投稿の第一文と第二文・第三文は別内容と理解するのが自然
(2)本件投稿への返信などは「一般の読者の普通の読み方」とは見なしえない
5.本件投稿の公論としての性格──「公共の利害に関する事実に係る」ことについて
(1)本投稿は重要な人権問題の客観的な論評である
(2)AV出演強要問題は、被害者が声を上げにくい人権問題である
(3)インターネットという公論の場の重要性
(4)本件投稿の構造的「脆弱性」と「萎縮効果」の深刻性
おわりに

はじめに

原判決は、一審原告が2018年1月17日に淫行勧誘罪の被疑事実で逮捕され(後に不起訴処分)、同年1月19日のテレビニュースで原告が顔を両手で覆い隠して連行される映像が流れたところ、そのニュース映像を見た一審被告により同年1月20日にツイッターに投稿された文章が、一審原告の名誉を毀損し、かつ侮辱行為に当たるとして、被告に損害賠償を命じた。
しかしながら、本件投稿が一審原告の名誉を毀損し侮辱行為に当たる違法なものとして被告に損害賠償を命じることは、合法的に行われる他の社会的に不可欠でありながら構造的脆弱性を有する異論や少数意見、対抗言論などに対して、甚大な「萎縮効果」を及ぼす危険性が強く懸念される。
そこで以下、1~3において、憲法理論における「表現の自由」に関する「萎縮効果」を除去すべきとする議論を紹介する。本件にかかわるのは3であるが、名誉毀損の成立に関する免責基準は、合法的な表現活動への萎縮効果を除去することが根拠である点を確認する。
次に、4において、原判決のように本件投稿が一審原告に対する名誉毀損、侮辱に該当するという判断への疑問を述べる。
最後に、5において、仮に本投稿が原告に関する論評であったとしても、それは「公共の利害に関する事実に係る」ものであること、さらに本件投稿の有する「構造的脆弱性」を認識すべきであること、本件投稿に不法行為責任を問うことが合法的で社会的に有用な表現活動への萎縮効果を強く持つことを考慮すべきと述べる。

1.表現の自由への「萎縮効果」除去論

憲法21条が国民に保障する「表現の自由」は、それが個人の人格の発展、真理の発見による社会の進歩、健全な民主政の展開などにとって不可欠な権利であるがゆえに、種々の基本的人権の中でも特別な重要性を有することは判例および学説の一致するところである 。他方で、その表現の自由もまた、公共の福祉を実現するための国家的規制に服する場合があることは当然ではあるが、憲法理論における「表現の自由」論においては、表現の自由の人権としての特別な重要性から、規制による「萎縮効果(chilling effect)」を除去することの重要性が指摘されてきた。
表現の自由に対する「萎縮効果」の問題を理論的に解明してきた毛利透教授の研究に依拠すれば、表現に対する萎縮効の除去論とは次のような主張である。すなわち、「国家の表現制裁が本来許される表現活動をも萎縮させる危険を除去するため、本来なら制裁されてもやむをえないような表現まで許容すべきだ」 。
憲法理論において、表現の自由に関する萎縮効果の除去論は、主に次の2つの問題について言及されてきた。すなわち、「過度の広汎性の理論」と、「公的人物に対する名誉毀損的表現の許容性」ないし「名誉毀損の免責基準」に関して、である。

2.「過度の広汎性の理論」と萎縮効果除去論

まず「過度の広汎性の理論」とは、表現規制立法の違憲審査基準の1つとして米国の判例法理において展開されてきたものであり、次のような理論をいう。「憲法上許される範囲を超えて表現活動を規制する法律に対しては、その法律により表現を制約された当事者は、たとえその者に対する制約は合憲であったとしても、法律の文面審査を要求することができ、法律が過度に広汎な規制として文面上違憲とされた場合にはその適用を免れることができる」 。
この過度の広汎性の理論の根拠には、萎縮効果の除去への配慮がある。すなわち、「表現の自由を過度に広く制約する法律は、本来許されるはずの言論活動を萎縮させ自主規制によりそれを控えさせてしまうという悪影響をもたらすので、この萎縮効果をできるだけ早く除去する必要がある」 という配慮である。

3.名誉毀損の免責基準と萎縮効果除去論

もう1つの名誉毀損的表現に関する萎縮効果の除去とは、公的人物に対する名誉毀損的表現の許容性ないし免責基準に関係するものであり、次のようなものである。すなわち、「結果として虚偽と認定されれば名誉毀損を構成するとなると、言論活動をしようとする者にとって事実調査などの負担が大きくなりすぎ、保護されるはずの真実の言論も萎縮してなされなくなってしまうという配慮から、表現者が一定の注意をもって調査していればたとえ結果としてその内容が真実でなかったとしても免責すべきだ」 という主張である。
刑法上の名誉毀損罪の成立および不法行為上の名誉毀損の成立に関する「免責基準」においても、表現行為に対する萎縮効果を除去することが、次のように配慮されてきた 。
刑法230条は、「公然と事実を摘示して人の名誉を毀損する行為につき、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」と定めている。この規定によれば、事実を摘示してなす名誉毀損行為は、常に処罰の対象となる。しかし憲法21条が保障する「表現の自由」との関係で、名誉毀損罪について、「名誉(人格権)の保護」の要求と「表現の自由」との調和をはかるため、1947年に刑法230条の2が設けられた。本条1項は、他人の名誉を毀損する行為であっても、それが「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認められる場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」とした。
だが、230条の2第1項の要件としては、摘示した事実が真実である必要がある。それゆえ、相当の資料と根拠に基づいて真実と判断して摘示したが、結果的に当該事実が真実でなかった、というような場合には、処罰されることを免れないこととなる。しかし、このような場合にも処罰されるとすれば、やはり表現活動へ及ぼす「萎縮効果」は無視できないものになるおそれがある。そこで、表現活動への萎縮効果を除去することを目的に、最高裁判所昭和44年判決 は、いわゆる「真実相当性の法理」を認めた。すなわち、「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である」と。
不法行為における名誉毀損においても、名誉毀損罪に関する法理を持ち込むかたちで免責基準が形成されてきた。その結果、不法行為における名誉毀損が成立するには、基本的な不法行為の要件に加えて、免責事由のないことが必要となる。すなわち、名誉毀損と主張された行為が「公共の利害に関する事実に係」り、右行為が「もっぱら公益を図る目的に出た場合」であり、「摘示された事実が真実であることが証明され」、「右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由がある」ことが立証されれば、不法行為の成立は否定されるのである 。
このように、名誉毀損罪の成立のみならず、不法行為として名誉毀損が成立するかどうかについても、表現活動への「萎縮効果」を除去することが考慮されている。

4.本件投稿が名誉毀損に当たるとの判断への疑問

そもそも本件投稿が、原審が認めたように一審原告の名誉を毀損するものであるとの判断には、いくつも疑問があることを最初に指摘しておきたい。

(1)本投稿の第一文と第二文・第三文は別内容と理解するのが自然
原判決は、「原告と面識があり、又は原告に関する情報の幾つかを知る者」を基準とすれば、「本件投稿の第一文が原告に関する記述であることは容易に同定可能である」という。
しかしながら、本件投稿の第一文と、その第二文・第三文とは、原判決がいうような「一体のもの」ではなく、内容上からも、またツイッターという情報発信ツールの特性上からも、「一体」ではなく逆に分断されていると理解することが自然である。
内容上からみると、次のように理解するのが自然であろう。まず第一文は、一審原告らが「逮捕され」て「顔を必死に隠しているシーン」を一審被告がテレビニュース映像で見て、そのことから「思ったこと」がある、ということを述べている。それは、第二文・第三文で書かれている「思ったこと」を想起させるきっかけとなった出来事を述べているにすぎない。そして第二文・第三文において、その「思ったこと」の内容が書かれている。すなわち、一審原告の逮捕容疑を報道する内容から、これまで一審被告が遭遇してきたAV出演強要の加害者たち、すなわち「鬼畜のような人たちみんな」が連想・想起され、その者たちは「陰に隠れて」いないで、自らの非を認め「責任を取ってほしい」と、とっさに感じた、ということである。
つまり、第一文は、原告が第二文・第三文で書いたようなことを想起するきっかけとなったニュース映像を導入的に書いているものであり、第一文と第二文・第三文とは、内容的にみて分断されている。
次に、ツイッターという情報発信ツールの特性から、という点であるが、ツイッターは140字というきわめて少ない文字制限のあるツールだということが決定的に重要である。わずか140字で伝えたいことを可能な限り書き込むためには、慎重な表現や断り書き、誤解を防ぐため念のために書く但し書きや念押し表現などが省略されがちになるのが一般的である。本件投稿も138文字と字数制限ぎりぎりまで書き込まれており、第一文と第二文・第三文とが意味内容上異なることを明確にする表現が、結果的に省かれてしまったと考えられる。

(2)本件投稿への返信などは「一般の読者の普通の読み方」とは見なしえない
さらに、原判決は、本件投稿に対する第三者の返信やリツイートの内容をもってして「一般の読者の普通の注意と読み方」と理解したうえで、それら返信やリツイートの複数が、第二文・第三文を一審原告のことについて述べるものととらえたことを根拠にして、「被告の本件投稿は、原告について述べたものであると認められる」と結論した。
しかしながら、本件投稿への返信やリツイートの内容を「一般の読者の普通の注意と読み方」とみなすことは、大きな事実誤認であると考える。
一審被告は、AV出演強要問題という、これまで社会的に隠されてきた深刻な人権侵害問題に果敢に取り組む稀有な弁護士である。AV出演強要問題とは、「ポルノグラフィ」という多くの男性にとって正面切っては論じてほしくない弱点、いわば男性中心社会にとって一種のアキレス腱に触れる問題である。この問題に取り組む一審被告に対して、敵対的な者が多く存在すること(とりわけネット上には)は想像に難くない。そういった背景を踏まえるならば、一審被告のツイートに対する批判的な返答やリツイートを行った者の多くは一審被告に敵対的な人々であることが推測できる。したがって、そうした返答やリツイートをもって「一般の読者の普通の注意と読み方」とみなすことは誤りである。
以上のように、原判決が「本件投稿はこれを一体のものとして読むのが相当であって、第一文と第二文及び第三文とを分断して読むべきではない」とした判断は、誤りであると考える。
第一文と第二文・第三文とが意味内容上異なることが認められれば、第二文・第三文はそもそも一審原告についての論評ではないのであるから、本件投稿は一審原告に対する名誉毀損でも侮辱行為でもないことになる。
仮に、第一文と第二文・第三文とが以上述べたほどには明確に「分断」されていないと仮定しても、ただちに原判決のように第一文と第二文・第三文とが明確に「一体のもの」と結論されるべきものではない。両見解の間には、中間がありえる。すなわち、第一文と第二文・第三文とが明確に「一体のもの」とも、明確に「分断」されているものとも判然とはしない、という理解である。
そのように、(ⅰ)第一文と第二文・第三文とが明確に一体のものとも分断されているものとも判然としないと理解する場合、および(ⅱ)原判決のように第一文と第二文・第三文とが明確に一体のものと理解する場合とには、本件投稿を一審原告に対する名誉毀損と認定するかどうかが問題となりえる。ただし、その判断においては、表現の自由に関する萎縮効果の除去という観点がきわめて重要な考慮要素となるべきである。

5.本件投稿の公論としての性格──「公共の利害に関する事実に係る」ことについて

(1)本投稿は重要な人権問題の客観的な論評である
本件投稿の第二文・第三文を原判決のように第一文と一体のものと理解したとしても、「人たちはみんな」と書かれているように、それはひとり原告についての論評ではなく、原告を含む、AVへの出演を強要する加害者ら一般に対する責任追及を訴えるものである(原告がAV出演強要の加害者に含まれることを被告が真実と信ずるについて相当の理由があったかどうかについては論じない)。
ここで重要なことは、本件投稿に使われた言葉の1つ1つは、格別に加害者を非難し、貶め、社会的評価を下げるような文言ではなく、AV出演強要という深刻な人権侵害で被害者に生じていることを事実に即してただ客観的に述べているにすぎない、ということである。なぜなら、実際に被害者は権利を完膚なきまでに踏みにじられているからである。
また加害者に関する表現も事実に即しているといえる。多くの加害者は罪も賠償も免れ、巨額の利益を得ている。他人をただ金儲けの手段とし、その人権を完膚なきまでに踏みにじる行為は、実際「鬼畜」の行為と評されても仕方ないのではあるまいか。

(2)AV出演強要問題は、被害者が声を上げにくい人権問題である
AV出演強要問題は、2014年頃から、その被害者が多数、支援団体に被害を訴えることによって社会の知るところとなった。被害相談を受けている主要な団体である「NPO法人 ポルノ被害と性暴力を考える会(ぱっぷす)」には、ここ数年、毎年100件を超える被害相談が寄せられている(AV出演強要以外の性風俗産業に関する被害も少数ながら含まれる)。政府も、「JKビジネス」と並んで「AV出演強要」の被害防止を社会に訴えるにいたっている。
AV出演強要問題に限らず、性犯罪、性暴力の被害者は、声を上げることが非常に困難である。被害者が表に出ると、男性中心の性に関する価値観が支配的な社会において好奇の目にさらされ、しばしば強いバッシングの対象となることを避けられない。しかし、中でもAVなどの性産業の従事者が被害を訴えることは一層強い好奇の対象となり、バッシングを受ける可能性があり、きわめて困難である。

(3)インターネットという公論の場の重要性
インターネットは、だれもがアクセスでき、発信できるという意味で高い公共性(公開性、アクセス可能性)をもつメディアであり、今日、公共的な利害に関して自己の主張を発信し、社会的啓発と議論を誘発する上において、つまり公論を提起する場として、きわめて重要なメディアとなっている。それゆえ、被害者が声を上げにくい人権問題について、本件投稿のように被害者を支援する立場からインターネット上で発信することは、被害者を取り巻く社会の状況に少しでも変化を生じさせるための対抗言論として、その重要性は計り知れない。
以上述べたように、本件投稿は、被害者が声を上げにくいAV出演強要問題という人権問題について、インターネットという重要な公論形成の場において発した客観的な事実に関する記述と責任追及の論評であり、「公共の利害に関する事実に係る」ものであるということができる。

(4)本件投稿の構造的「脆弱性」と「萎縮効果」の深刻性
もう1点、本件投稿に名誉毀損を認めるかどうかの判断において重要な考慮すべき点を指摘したい。
インターネットは、高い公共性(公開性とアクセス可能性)を持つ反面、従来のマスメディアのような内部のチェック機能を持たないため、社会の支配的な価値観や声の大きい主張、特定の集団に対するヘイトや少数者排除の主張がそのまま掲載される状況にある。それゆえ、AV出演強要被害者に対しても、二次被害を生じさせかねないような、心無い非難などであふれている。さらに、そうした状況への異論や少数意見、対抗言論は攻撃を受けやすい傾向がある。
こうしたインターネットの構造的性格や現状があるがゆえに、本件投稿のような、被害者が声を上げにくく、周囲に追いやられがちな問題に、被害者を支援する立場からなされる投稿は、少しでも弱みを見せると一斉攻撃を受ける危険性の高い構造的な「脆弱性」を有する。
そのような構造的な脆弱性を持つ本件投稿に対して、仮に裁判所が名誉毀損を認定して不法行為責任を認めたならば、合法的に行われる、同じような脆弱性を有する他の異論や少数意見、対抗言論に生じるマイナスの影響、すなわち「萎縮効果」は、通常の場合と比べて甚大となると考えられる。
したがって、本件投稿に名誉毀損の成立を検討する際には、上記したような意味での表現の自由への「萎縮効果除去」論をとりわけ真剣に検討する必要性がある。

おわりに

 最後に、以上で述べたことを要約的にまとめておく。本件投稿は、そもそも一審原告に対して向けられたものではなく名誉毀損も侮辱にも当たらないと理解するのが自然と考える。しかし、仮に本件投稿を、一審原告を含めたAV出演強要の加害者に対する論評と理解したとしても、本件投稿はきわめて重要な人権問題についての論評であり、「公共の利害に関する事実に係る」ものである。さらに、本件投稿には構造的な脆弱性があることに留意すべきである。このように重要な人権問題への論評であり、脆弱性を有する本件投稿に名誉毀損として賠償責任を認めるならば、合法的に行われる他の社会的に不可欠でありながら構造的脆弱性を有する異論や少数意見、対抗言論などに対して、甚大な「萎縮効果」を及ぼす危険性が強くある。そのことが真剣に考慮されるべきである。

                            以上


履歴書

氏  名 中里見 博(なかさとみ・ひろし)
所  属 大阪電気通信大学 共通教育機構 人間科学教育研究センター教授
専門分野 憲法学、ジェンダー法学
研究分野 平等理論、性暴力表現規制、平和主義
学歴・研究歴
1990.3 名古屋大学法学部法律学科卒業(憲法ゼミ所属)
1992.3 名古屋大学大学院法学研究科博士前期課程修了(公法学専攻)
1995.5 ミネソタ大学ロースクールLL.M.課程修了
1996.3 名古屋大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学(公法学専攻)
2002.12 ハーバード大学ロースクール客員研究員
取得学位 修士(法学)
職  歴
1996.4 名古屋大学法学部助手(憲法研究室)
1999.4 福島大学行政社会学部助教授(憲法担当)
2012.4 徳島大学総合科学部准教授(憲法担当)
2016.4 大阪電気通信大学工学部人間科学研究センター教授(憲法、法学担当)
所属学会 日本公法学会、全国憲法研究会、憲法理論研究会、ジェンダー法学会
社会活動 NPO法人 ポルノ被害と性暴力を考える会(ぱっぱす)副理事長

主要業績
1.単 著
① 『ポルノグラフィと性暴力──新たな法規制を求めて』(明石書店、2007年3月)
② 『憲法24条+9条──なぜ男女平等がねらわれるのか』(かもがわ出版、2005年3月)
2.共著・分担執筆
① 『憲法の普遍性と歴史性(辻村みよ子先生古稀記念論集)』(山元一ほか編、日本評論社、2019年8月)「性の売買をめぐる権利と法」を執筆
② 『右派はなぜ家族に介入したがるのか──憲法24条と9条』(中里見博ほか著、大月書店、2018年5月)「なぜいま憲法24条と9条か」、「非暴力積極平和としての憲法の平和主義」を執筆
③ 『グローバル化時代における民主主義の変容と憲法学』(本秀紀編、日本評論社、2016年2月)「ジェンダーと民主主義──社会的不平等の解消と主体再構築の観点から」を執筆
④ 『民主主義法学と研究者の使命(広渡清吾先生古稀記念論文集)』(大島和夫ほか編、日本評論社、2015年12月)「性売買規制法の国際的動向──北欧モデルの可能性」を執筆
⑤ 『同性愛をめぐる法と歴史──尊厳としてのセクシュアリティ』(三成美保編、明石書店、2015年8月)「『同性愛』と憲法」を執筆
⑥ 『脱原発のための平和学』(国際基督教大学平和研究所編、法律文化社、2013年9月)「脱原発の憲法学」を執筆
⑦ 『証言・現代の性暴力とポルノ被害──研究と福祉の現場から』(ポルノ被害と性暴力を考える会編、東京都社会福祉協議会、2010年11月)「性暴力としてのポルノグラフィ」、「『わいせつ』アプローチから『人権』アプローチへ」を執筆
⑧ 『コンメンタール 女性差別撤廃条約』(国際女性の地位協会編、尚学社、2010年3月)「女性の売買・売春からの搾取の禁止」を執筆
⑨ 『憲法学の最先端』(憲法理論研究会編、敬文堂、2009年10月)「『セックスワーク』・性的自己決定権・人格権」を執筆
⑩ 『希望学4 希望のはじまり──流動化する世界で』(東大社研・玄田有史・宇野重規編、東京大学出版会、2009年7月)「性をめぐる権利と希望──労働から人格権へ」を執筆
⑪ 『現代憲法における安全──比較憲法学的研究をふまえて』(森英樹編、日本評論社、2009年3月)「『市民の安全』とジェンダー──DVへの警察の介入をめぐって」を執筆
⑫ 『企業・市場・市民社会の基礎法学的考察』(戒能通厚・楜澤能生編、日本評論社、2008年10月)「法的人格のジェンダー・クリティーク」を執筆
⑬ 『近代ヨーロッパの探求11 ジェンダー』(姫岡とし子ほか著、ミネルヴァ書房、2008年7月)「健康な母親と強壮な子孫──初期合衆国最高裁判決とジェンダー」を執筆
⑭ 『クローズアップ憲法』(小沢隆一編、法律文化社、2008年4月)「日本国憲法の成立」、「人権総論(1)──公と私」、「人権総論(2)──平等」を執筆
⑮ 『比較判例ジェンダー法』(浅倉むつ子・角田由紀子編、不磨書房、2007年11月)「ポルノグラフィ」を執筆
⑯ 『岩波講座憲法3 ネーションと市民』(杉田敦編、岩波書店、2007年6月)「フェミニズムと憲法」を執筆
⑰ 『セクシュアリティと法』(齊藤豊治・青井秀夫編、東北大学出版会、2006年3月)「米国における反ポルノグラフィ公民権条例」を執筆
⑱ 『フロンティア法学』(上田純子ほか著、法律文化社、2004年4月)「何とラディカルな日本国憲法」、「非暴力平和主義でいこう」、「女性に対する暴力は許されない!」、「主権は君に」を執筆
⑲ 『世界のポジティヴ・アクションと男女共同参画』(辻村みよ子編、東北大学出版社、2003年4月)「アメリカにおけるアファーマティヴ・アクションの展開」を執筆
⑳ 『市民的公共圏形成の可能性──比較憲法的検討をふまえて』(森英樹編、日本評論社、2003年2月)「公共圏・親密圏・ジェンダー」を執筆
3.共訳書
① キャサリン・マッキノン著(森田成也・中里見博・武田万里子訳)『女の生、男の法(上・下)』(岩波書店、2011年8月、10月)
② キャサリン・マッキノン/アンドレア・ドウォーキン著(中里見博・森田成也訳)『ポルノグラフィと性差別』(青木書店、2002年1月)
4.大学紀要
① 「ポストジェンダー期の女性の性売買──性に関する人権の再定義」東京大学社会科学研究、58巻2号、39-69頁、2007年
② 「ジェンダー法学のジェンダー分析──支配アプローチに向けた序論的考察」名古屋大学法政論集、213号、571-602頁、2006年
③ 「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の展開──女性最低賃金法違憲判決のジェンダー分析」名古屋大学法政論集、171号、169-214頁、1997年
④ 「合衆国最高裁判所における女性労働『保護』法理の成立(2)完──最高裁判所のジェンダー分析に向けて」名古屋大学法政論集、167号、323-362頁、1997年
⑤ 「合衆国最高裁判所における女性労働「保護」法理の成立(1)──最高裁判所のジェンダー分析に向けて」名古屋大学法政論集、166号、97-121頁、1996年
5.学会誌
① 「(企画趣旨)性売買と人権・平等」ジェンダーと法、16号、6-17頁、2019年8月
② 「ケアを中心とする社会への転換のための法構想──『脆弱な主体』をめぐって」法の科学、49号、20-29頁、2018年9月
③ 「性別──性別化と非性別化のポリティクス」公法研究、75号、216-227頁、2013年10月
④ 「家族が担う『公』と『私』──親密圏への法的介入」法の科学、37号、117-128頁、2006年11月
⑤ 「ポルノ被害と法規制──ポルノグラフィと法をめぐる視座転換をめざして」ジェンダーと法、2号、58-72頁、2005年7月
⑥ 「性支配と人権」法の科学、29号、20-35頁, 2000年
6.専門誌
① 「アダルトビデオと法規制の検討──AV違約金訴訟判決を契機として」賃金と社会保障、1662号、4-18頁、2016年7月
② 「フェミニズムと憲法学」ジュリスト増刊・憲法の争点、36-37頁、2008年12月
③ 「現代改憲論における家族条項改変問題」法律時報、77巻9号、84-89頁、2005年8月
④ 「危機の中の日本国憲法──国会憲法調査会の活動と新たな改憲論の台頭」歴史教育・社会科教育年報、2001、2-15頁、2001年10月
⑤ 「『男女共同参画社会の形成』の意義と問題点」行財政研究、47号、2-8頁、2001年6月
⑥ 「ジェンダーが揺さぶる憲法構造の変容」法律時報、73巻1号、56-61頁、2001年1月
7.判例評釈等
① 「判例クローズアップ 夫婦同氏訴訟最高裁大法廷判決」法学教室、431号、30-38頁、2016年8月
② 「特別区と憲法上の地方公共団体」別冊ジュリスト・憲法判例百選Ⅱ(第6版)、2013年
③ 「判例紹介 性風俗営業の人権侵害性──『性交類似行為』をさせる営業等の違法性に関する諸判決」福島大学行政社会論集、23巻3号、87-103頁、2011年


                            以上



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