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コミュ障ぼっちママが幼稚園で卒対役員をやった備忘録

ちょうど1年前のnoteを見返していた。1年前の私は、クラピカの名言「答えは沈黙」を思い出しながら、自転車を漕いでいた。誰もやりたがらない卒対役員のライアーゲーム的な話し合いを経て、結果、コミュ障の私が卒対役員になり、「早く1年後になってほしい…」と家で泣いていた。それから、やっと1年が経ったのだ。

幼稚園でもともと話せる知り合いが少なく、話し下手で、気を使う割に空回りする私。幼稚園に行くと、みんな溌剌としていて、ニコニコと誰かと輪になって楽しそうに話しているのを横目に、子どもの描いた絵などをぼーっと眺めているのが常だった。

幼稚園の卒対役員になり、その生活は一変することになった。何が辛かったか、大変だったかをコミュ障の視点から振り返っていこうと思う。

幼稚園の役員の中でも、卒対役員の大変さは今さら私が語るまでもない。純粋に仕事量が多いので、働いている保護者にとっては難しい部分もあると思う。

ただ、コミュ障に特化した大変さは、
○もともと知り合い同士のお母さんたちに混ざって1年間行動をともにすること
○コミュ強のお母さんたちに混ざって、話し合いで意見を出したり、提案をすること
○始まりは同じように敬語+○○さん呼びだったのに、他の人はいつの間にかタメ口であだ名で呼び合っているのを目の当たりにすること
○雑談タイムが多い(それで仕事が滞るのが辛いとかじゃなくて、会話の引き出しが少ないので、ちょうどいい話をするのが難しくて、習い事とか幼稚園の話ばっかりしちゃう)

こんな感じで、精神的なダメージが蓄積されていく感じだ。LINEのやりとりも頻繁なので、相手に送る文面など些細なことでも気にするコミュ障としては、家にいるときも心休まらないかもしれない。

ただ、いくらコミュ障とはいえ、少人数での集まりなら、複数回を重ねていくうちにある程度は相手の人となりがわかって、すごく仲良くはなれなくても、仕事仲間としての薄い絆は芽生えていくような気がするので、結果的に幼稚園で話せるお母さんの数は増えたし、
よっぽど仕事を全くしないとか、集まり自体に欠席するということをしなければ、表向きには和やかに接してもらえるので、嫌なことをされるとか、悪口を言われるとか、そういうことは基本的にないと思う。

コミュ強のお母さんってやっぱりすごく色々と気が回るなーと思ったことも沢山あって、見習いたいなと思った部分もたくさんある。

ちょっとした雑用を引きつけてくれた人には、LINEだけじゃなくて、次に会ったときにお礼を伝える。
複数人で集まるとき、小分けのお菓子を持参してみんなに配る。子連れの人がいる場合はおせんべいなど、子どもが食べられるものも別途用意してたりする。
ウェットティッシュなどで子どもが汚した床をさりげなく拭いてくれる。
役員としての仕事が終わった後、小さなお手紙付きのプチギフトを全員分配る。などなど。
そういった振る舞いで、その人の印象が「あ、気がきく人なんだ」と印象づけられたなと思う。真似できるところはがんばって真似した。

そう、私は私なりに頑張ったのだ。
ストレスで帯状疱疹になりながらも資料を作ったし、苦手なりに人とのコミュニケーションもとったと思う。
10人中2人ぐらいとはタメ口で話せるようになったし、小学校に入った今も交流がある。

ただ、それでも卒対役員はやらなければ良かったと思うときもある。
いまだに「あのとき、無駄に○○って言っちゃったの、何でだろう」とか、「絶対に○○さんには仕事できない使えないやつって思われただろうな」とか、ふとフラッシュバックする自分のだめシーンみたいなのが増えて、もう終わったのに後悔することがある。

終わればもう忘れて、晴れやかな気持ちになれる☆なんて思ってたけど、1年終わった今も妙にマイナス思考なることがあって、自分の気持ちのコントロールが難しい。

しかし、小学生になってもPTAは必ず1回はやらなければいけないし、人との付き合いは決して避けられない。だからこそ幼稚園の役員で強制的に場数を踏んだこと自体は良かったと思う。

もしもママ友がいないとか、コミュ障のお母さんが役員になって絶望していたら、何と声を掛けてあげたらいいかわからないけど、多分、想像よりは少しましだと思うし、1〜2割ぐらい、やってて良かったなっていう部分もあると思うので、どうぞ頑張って…!

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