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未来日記 海で暮らす

私はリサ。
高校一年生。
サーファーの両親と二つ上の兄がいる。
この春、名古屋からこの渥美半島の田原という田舎へ越してきた。

私が中2の時に、急にママが移住すると言い出した。ずっと夢だった海での暮らしを実現させる!って。家族みんな反対した。でもママはこのまま自分のやりたい事やらずに死にたくないとか言って、とっとと田原で暮らす物件探しを始めた。

見つかった物件は中古の平屋の一軒家。オシャレにリノベーションしてサーファーズハウスにするんだと意気込むママ。

最初はあんまり乗り気じゃなかったパパも、もともとキャンピングカーを自作したりするくらいの人なのでリノベーションって聞いたら俄然やる気を出し始めた。



付き合っていた頃から、週末はサーフィンのために海に通ってきたパパとママ。連休にはキャンピングカーに改造したハイエースに車中泊して伊良湖に滞在し、波乗り三昧の休日を過ごしてきた。

小学校低学年くらいまでは、私と兄も毎週末一緒に海へ行っていた。何も分からない幼い頃からウェット着させられて波打ち際でスープと戯れ、スポンジボードでサーフィンしていた。波が大きすぎたり流れが強い時は車の中で待っていることもあった。

サーフィンのどこが楽しいのか全く分からなかった。砂浜で兄と一緒にお山を作ったり、岩場でカニを捕まえたり、波打ち際で遊んでいる方が楽しかった。でも2時間も3時間も濡れたウェットでいると大抵寒くなって唇が紫色になってたっけ。

とにかく休みが苦痛だった。

小学校高学年になってパパとママだけで海に行くようになった。私と兄はママが用意してくれるおにぎりで朝ごはんを済ませ、日曜日の朝のアニメをパジャマのままダラダラと観て過ごし、お昼になったらママの手作り弁当を食べて、またゲームとテレビを楽しんだ。それまで、日曜日の朝4時半に起こされて海に行っていた事を思うとそれはそれは天国だった。自由気ままにダラダラ過ごし、テレビの前のソファで寝転びながらお菓子食べても誰にも怒られない。

そんな週末をこれからもずっと過ごして行くんだと思っていた。

まさか、海に移住する事になるとは…

平屋のリノベーションが完成したのが中3の秋だった。

「リサが高校入学のタイミングで移ろうね!」
ママが言った。

兄は名古屋に残ることになった。
あと1年で高校卒業するのに転居は難しいということで、名古屋の祖父母の家に居候する事に。

私が選んだ志望校はソフトテニスの強豪校、豊橋S 高校。
中学の部活動で始めたソフトテニスだけど、結構本気でやってきたつもり。大会も練習試合も毎回レギュラーで出場してきたし、それなりに自信があった。だから高校入ったらインターハイとか狙ってみたいって思ってた。

だけど…

高校入学してすぐのソフトテニスの体験入部で撃沈した。中学でなんの結果も出していなかった私は「マネージャーとしてなら入部を許可する。」と言われた。他の入部希望者達は大会出場はもちろん優勝経験のある者ばかりだった。

結局、入部したのは書道部。
コンクールの前しか活動しないような部活だ。

元同級生たちのインスタを見るとみんなが眩しく見える。
バスケのユニホーム姿で笑うレナ、大須のタピオカドリンクのお店の看板の前でポーズをとるカリン。

みんな楽しそう。

私も名古屋の高校行けばよかった。

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