ことばの吹き溜まり横町

※朗読などに使っていただける短文集です。
※利用の際は【作者:EtO】を必ず記載してください。


僕は世界で一番醜くありたい。
それでいて、足の爪の間から、髪の毛の根の元まですっかりといつも洗い上げて、世界の誰よりも清潔であることを自分だけが知っている、そんな風に生きていたいんだ。
これがそんなに高い望みでしょうか。


あら、面白いですよ。あなたの御話はいつだって。
あたくしの話?ああ、さっき言いかけたことって、あれはあなた……いえねぇ、つまらないことですよ。ほんとにお聞きになりたいの。
ほんとう。
あたくし馬鹿ですからあなたがおっしゃることみんなほんとうにしてしまいますよ。ねえ、あなたこんな話を聞いていて楽しい。
そうですか。
わたくし素朴な女ですわ。こんな女を可愛いと言ってお呉れですか。

外に傘を忘れた時は、それが雨に横たわることを考える。
皿を割った時は、その一番ちいさな破片が爪の横に突き刺さって皮膚に埋まることを考える。
虫を殺した時は、その虫の生きるはずだった時間分、かなしくなる。
これが我流のお念仏なのです。
おばあちゃんのいつも唱えたお念仏をおぼえていたら、
も少し恰好がついただろうに。



刻々刻々と阿吽の息をして
そこもとへお礼へ参る
阿の半身
吽の半身を
双頭の総身に象り
影を引き引き刻々、
刻々とそこもとへ
御礼申す



饕餮という言葉ほど聞くたびに私の鼓動を激しくするものはない。
饕餮のあの、ぐるりぐるりとした文様の、端がほどけだしてうじゃうじゃと蠢くのを想像する。
気づいたら私は妙な角度に首を曲げている。そこから正常の位置に首を振り戻すとき、饕餮という二字の、四角い鈴のような形を思い出す。
饕餮という響きは、どう、どう、という原始的な唸りと打撃音、徹する・徹すという言葉への連想、そんなものを引き起こして私を通り過ぎていく。
饕餮。この言葉ほど聞くたびに鼓動の暴れるものはない。



タンポポが地面に潜り込みたそうにへばりついている冬の、
やり残したことをいくつも目の前に並べる夢を見て起きて、
毛布は少し汗ばんでいた、
そんな朝、坂を下ればパンの香りの。
喉に吹き込んで「虫もいない」と歌うような風の声、
肌に触れるシャツの、素知らぬ顔の哀しい温度には、
恋したこともない心の薄皮から血が出るようで、
道行けばパンの香りの。
抒情的なあの香りの。
朝7時、パンの香りの。
バス停はもう行列で。私はそっと瞼を閉じた。



小学生の時だった。目から魚を釣る話を読んだ。
その話によれば、目に限らず透き通った向こうに何かありそうな所ならば、
どこにでも魚はいて、どこででも魚は釣れるのだという。
この話をその時の友達にしたような気がする。
「エッ、知らないの。そんなことも。教室の窓ガラスからも目玉からも、そりゃ魚は釣れるさ」
とその友達は言った。
そいつは今でも同じ答えをするだろうか。



ひつじがいっぴき
あまのじゃくが走ってひつじを打ちころした
わたしはあっとこえをあげた
肉はやき
頭骨はあたまにかかげるのだという
あまのじゃくにはつのがない
ひつじのつのでもかりぬことには
鬼のながなくといって
石の上に「はっし」と立ちこけこっこうと鳴いた

あかくて、ちのいろが
あおくて、
きいろくて、

しろいな
しにそうで、しにそうで、しにそうで
病んだ



花影にきみをとぶらふ宿の夕暮
鬼籍をおもふ雨の軒先
墓参りをしたくなる明日がもう秋
重ねた袖に明らかな陽射しのかげり
一日ずっと夕方のよな秋の日よ
きみが許すなら昼寝をしたい今日のこの頃



がれきのしたにうずくまる
このてはいしをにぎってはいないか
このてはいしをにぎってはいないか
きみつみあるか
われつみなきか
きみのありかに
ゆめあるか、ゆめあるか、はなあるか

なべてこのよはいきがたし
されどきみはすてたもうな
なべてこのよはいきがたし
されどきみこそいきて



愛を着飾る人にタグを1ダース 
愛をむさぼる人にパンを1ダース

花なんていいわけでしかないから
買わないで もう、

かつてあたしを愛した人へ花をひとつ
これで葬式は行かないわ もう



しぬならばそのときは
あなたがたからいただいたことばを
はねのようにまとって
まっさかさまにとびたい

このあたりでふと筆を置こうと思います。
決して秘密主義ではないのですよ。
これを書きますと長くなって、私の胸が痛みそうですからやめておくまでのことです。
あなたには何分、いつも言葉足らずで申し訳ありませんけれども、きっと黙って許してください。



空に輝くあの日の色を知っていますか
あれは龍のあぎとのしたの
一枚のさかうろこ
昇って沈むあの日の色を知っていますか
わたつみのいろこのみやから
宮女の投げるひとつの毬



夜はあなたの足元にちいさな水溜まりをつくるだろう
あなたの手のひらに傷をつくるだろう
愛していると何度も
私以外の誰かを守る呪文を何度も
この愛があなたを呪わないように
この愛がただあなたにふりそそぐように



田舎からザボンが送られてくるたびに、
父の手を思い出す。
いつも泥がはさまった爪の先。
母がいつもたわしで洗ってやっていた。
深く刻まれた皺が笑ったように見えること。
そして食事時に箸をもつ形の意外な美しさ。
いただきますと手を合わせる時間が、いつも私より一呼吸長かった。
ザボンの皮に爪を入れる、その時に思い出すのはやはり、父の手の大きさ。
ザボンを一箱も送ってくるのはやめてよと、言おうとして、毎年けっきょく、言わないでおく。

この命がもうすぐ尽き果てようとするときに、僕は何の宝石も財産も君に残してやれませんが、
一つ本当に光り輝くことを教えてあげましょう。
与謝野晶子の言ったことは「ほんとう」でした。
君はご存じでしょう、舞姫ひとまきの、あのめくるめく熱情と飛び立つような情景を……
僕がベトナムで得た熱病のさなか、君の声を冷え冷えと額の辺りに感じて気分の良い一日に、ふと立ち出でてやかんに水を沸かした時のことなのです。
やかんの面にビカ、と白日の輝いたのを皮切りに僕は見た!舞姫ひとまきの、あの情景!与謝野晶子の言ったことは「ほんとう」でした!
僕は若くしてもう仙境へ入るのでしょうか、ああ!君にも見てほしいあの与謝野晶子の「ほんとう」を……



私の心は公園の池の二人乗りのボートのようです。
にべもない人を愛したくもなり、
寄る辺ない人を恨みたくもなり。
あっちへ傾き、こっちへ傾き。
それもこれも私の向かいにあなたが座っていないからです。
はやく帰ってきてください。
どうかはやく帰ってきてください。
公園の池の真ん中の、二人乗りボートの片側でわたし一人で浮かんでいます。



涙が流れて止まらない日は、ベランダで毛布を着て、
ゆらゆらと空の表面が揺れるのを見るのが好き。
涙からわずかに上がる湯気を見ようとして見られなくて、気づいたら夕方になっている。
温めて忘れていたミルクの表面にはすっかり膜が張っていて。
温め直すうちにすっかり夜になる。
テレビから流れる川の音を聞きながら、一節しか覚えていない童謡を歌う。
そんな日が好き。



見て、僕たちが行くあの星は、かつて願いをかけた星だよ。
遠くにいても、隣にいても、許し合う家族になりたいね。
あの時の君に謝ることができるように、いつかの宇宙を駆けていきたいね。
そう願いをかけたよね。
僕たちが行くあの星は、僕たちの悲しみや罪や喧嘩が生まれるずっとずっと前に、あの光を産んだんだ。
もしかしたら、僕たちが行く頃には、あの星はとっくに死んでいるのかもしれないけれど、それでも行こうね、僕たちの願いをさらいに。



流れていく雲は先々のことを映しとる白を持て余して、
時々墨を吸う。
それでも降る雨にその墨を滲ませることがないのを見ると、
私たちへの憐みは忘れていないようだ。
辛抱強いよなぁ。これだけ憂き世をずっと見ていて、
私たちに嫌気がささないなんて。
そう思えば、私ももう少し政を捨てまいと思うんだ。


出がけに急いだので靴紐の締め具合が左右違って足を痛めた。
「失礼」
隣を歩く女に断って左の靴紐を結びなおすためにしゃがみこんだ。
女が半歩振り返って髪の分け目をジッと見ているのを感じた。
髪の黒いのには自信があった。
立ち上がった時、この女の目をまっすぐに見たならば、この女は自分のものになるだろうと思った。

こどもたちの寝息を聴いている。
昼にはできない呼吸をしよう、
夜だけ私は皮膚呼吸。
こどもたちの眠りを摂って涙を世界に送り出す。
私の目は開いたままで、
呼吸器だけがぐぅぐぅ眠っている。
寝息と涙の音楽を聴いている。

二人並んで電車に乗ったら、トンネルでささやかな遊び。
私は息を止め、彼は轟音の中で何かを囁こうとする。
微笑む私はすでに酸素が足りなくて夢の中を漂っている。
ごうごうと海鳴りの方へ転落する、白昼夢。
彼の声は52ヘルツ。
長い長いトンネルの先、深海から躍り上がる鯨のように息を吸った。

用事を見繕って家を訪ねると、あなたは紅茶のポットを持って、カップに勢いよくお湯を注いだ。大笑いしてティーバッグを取りに戻ったあなたの、逆立った後ろ髪を見てこっそりと笑った。
恋と悲しさをひとつずつ積み重ねた。

女になりたいと思うときはあなたが雨に濡れて目を伏せるとき。
男になりたいと思うときはあなたが日に照らされて笑うとき。
結局ぼくは天使になって、あなたの真上でいつも日を照らし、
友になってあなたと肩を組み。
生まれ変わったら恋人になろうねと小指を絡めて棺に入るしかないのです。

目が覚めた。
夢の中で愛した人は踊りながら去っていった。
私の足も踊ったようだ。バレリーナのように美しく爪先立った私の足。
あの人と踊れただろうか、恥じない踊りができただろうか。
カーテンが上映を終えたスクリーンのようにやけに蒼くて、寂しい朝。

上澄みをことばにすれば
胸にたまる澱のこの、
この、この、この………
ことばにできない!
これこそがこの胸に手を当てて知る拍動のリズム
これこそがその胸を割いて知る生命の叫び
私を見透かすあなたの目は黒黒と透き通っている


今夜ばかりはその歌を
うたうでしょう
うたうでしょう
あなたがおいたヘッドフォンのスポンジの傷

口々に咲くおおぶりこぶりの弔いが
それが陳腐にならぬよう
造花にもしてしまいたい
セロファンの夜

あたくしの舟ですか、これは川は渡りませんが……
ええ、あたくしは舟守ですとも、そしてこれら二艘ともあたくしの舟ですとも。
しかしあたくしの今操る、この葦の舟はねぇ。
あなたを乗せる舟ではありません。生まれぬ赤子を乗せるのですよ。
くらい葦原をくぐって安らかなところまで行くのです。
この舟は、川を渡ることはありません。ずぅっと遡って行くだけです。
あなたはもう生まれてしまったのですから、この川を広い方へ広い方へ下って行きなされ。
あたくしの名は、カロンと申します。
しかるべき時にまた、泥の舟でお渡ししましょう。



ずっと見たかった名画の陶板複製の前に立った時、私の想いは絵とまったくちがうところへジャンプしていた。
原爆ドーム。の、剥き出しの骨の部分は、空を向いた横顔。戦争の顔を、蝋で形どったデスマスク。
もう起こった争いにはとりどりの蝋が吹きかけられている。私は、ありとある人の争いにそっと牛乳を注ぎたい。
すみません、と声をかけてきた人に名画の正面を譲って、私は名画の光を受けてネガになったその人の、後ろ姿を眺めた。



夢見るは夢見るはさくらの森の満開の下
極彩色に透明に吸い上げられる僕の体液
散りくるはちりくるは赤い金魚の血の道の先
あかあかと咲く幻はあの日割れた風船のかけらでした
ふ、ふ、ふ、
花笑えば、春、あなた待つ私の胸が震えるでしょう
春で待っています。春に待っています
――「言想綴園」

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