夢をみていた


男N:夢をみていた。
0:
男N:僕は女と暮らしている。
男N:女はみんなそうか知らないが、癇癪もちでどうしようもない。うんざりするけれども、いつからか、理由もなく一つ屋根の下に住んでいる。
男:「今日は弁当はないのかい」
女:「え、なんで」
男:「何って仕事に行くんだ」
男N:そういうと、急に機嫌が悪くなった。向こうのほうから睨んでいる。
女:「きょうは、でかけられる言うたやん」
男:「でかけるって?ぼくが?」
女:「きょう暇ゆうてたもん。言うてました」
男N:子どもか。
男N:表情の一つでも動かしてやろうと思ったが、ちっとも動かなかった。女は、首をかしげて僕の顔を見上げている。
男N:ま、確かに女がしつこいのではいはいと言ったかもしれない。
男N:そんなに不思議そうな顔をされても困る。僕はただ、一緒に出かけられやしないというだけなのだ。
男:「行ってくるよ」
女:「先週もあかんかったのに……あ、待って、ほんまに行くの」
男N:女は腕を絡ませて玄関までついてきた。
男:「だって、君。仕事だぜ」
女:「もうかえって来んでええです」
男N:ぱちんと背中を小さな手でたたかれた。そら、これだ。すぐ癇癪を起す。
男N:帰ったら女はふて寝を決め込んでいて、芋と何か魚を煮たやつが鍋にいっぱいあった。ごろごろして見ているだけで喉がつまりそうだ。とは思ったが咳込みながら食うとそれなりに旨かった。
0:
男N:ちかごろ女が泣いたりため息ばかりつくから、友達でも呼べばいいじゃないかと言った。僕まで気が滅入る。
男N:女は恨めしそうに僕をにらんだが、結局いくつか電話をかけて女友達を家へ呼んだ。僕は彼女らと入れ替わりに出かけた。彼女らも僕に関心を示さなかった。たっぷりと時間をつぶそうと思ったがなんだか癪になって公園を二周しただけで帰ってしまった。
男N:いやに静かだ。
男N:居間をのぞくと、女がひとりひっそりと座っていた。
男:「なんだ、もう帰しちゃったのか」
女:「そばにいられると落ち着かへんもん」
男N:特に気にせずに風呂へ入ろうとしたが、女が腫らした目でじぃっと見つめるものだからしかたなく隣に座った。
女:「うち、あかんわ。よそのひとこわい」
男:「僕はいいの」
男N:顔をのぞきこむと、鼻をすすって僕をつねった。
女:「いじわる」
男:「いたいいたい。何するんだ」
男N:女って、みんなこうなのだろうか。
男N:言っていることとやっていることがいつだって違う。見る分にはおもしろいが目の前でやられると少々カンに障る。
男:「僕だってよそのひとだぜ」
男N:そういうとしぼんでしまった。
女:「あんさんはなんもわからへんの、うちに何も思ってへんの」
男:「ぼく?ぼくが何を思うの」
男N:女は泣き出しそうな顔で僕を見上げたかと思うと、しゃんと立って洗面所へ消えた。しばらくすると水の音がきゅっと止まって、女は青白い顔で寝室へあがってしまった。
男N:切り替えの早い奴だなと僕は内心あきれた。
0:
男N:ある日女にこんなことを言われて氷柱を刺し込まれたように胸が冷えた。
女:「あんさんうちが好きなんやろ」
男:「僕がいつそんなこと言ったの」
女:「うそ。好き、言うた」
男:「言ってない」
女:「言うた」
男N:堂々巡り。僕が一番嫌うたぐいのものだ。思わず額に手をやった。
男:「妙な捏造をするなぁ。言ってないよ」
男N:女は早くも涙ぐんだ。いつもならここで寝室へ駆けあがるのだが、今日はまだ引き下がらないらしい。
男N:口ごもりながらことばを続けた。
女:「好きやなかったら、なんでこないにそばにおるの」
男N:なんでと言われたって、いるから、いるんだよ。
男N:僕はいきものだ、すべてに理由があるわけじゃない。
男:「なんだよ。側にいるから、好き同士だと思っているのか。
男:じゃ、四つ角の隣り合った地蔵さまは前世からの恋人だね。
男:あすこに並んだ野菜は夫婦だぜ。そういうことだよ君の言うのは」
女:「石地蔵と野菜と、うちとあんさんは一緒なん。ちがうやないの」
男:「ほんとにそう思ってるんなら、かわいそうだね」
男N:女は何とも言えない顔をした。驚愕に一番近かった。
男N:少しだけその顔を興味深く思った。
男:「ねえ。それ、なんて顔だい」
女:「そんなこと言うひと、きらい」
男:「言うことがコロコロ変わるなぁ」
女:「憎たらし。いっぺん鴨川へでも浮いて来よし」
男:「あんな浅いのに?」
男N:はじめてこの女の前で僕は笑った。言い負かして上機嫌だった。そのあとすっかり拗ねた女を何とかなだめすかし、川べりへ腕を組んで出かけた。
男:「僕を沈めなくっていいの」
男N:けしかけても、女は終始無言だった。
男N:黙っていると幽霊のような女だった。
0:
男N:膝枕する女の顔を見上げていて、突然あることに、気が付いた。この女はずっと同じことをいっているのだということに、今更気が付いた。
女:「どないしたん、おもろい顔」
男N:手を変え品を変え、声音を変え顔を変え、この女はずっと。すべてが腑に落ちた。
男:「わかったぞ。きみ僕が好きなんだ。好きで好きでたまらないんだな」
男N:起き上がって手を握ると、女は細い目の縁を震わせた。
女:「うち、そんなこと、言うてぇへん」
男:「言ってるさ」
女:「そんな、そんなことない」
男N:おちょぼ口が言い訳するのを、酔ったような心地で見ていた。いい気分だ。大変にいい気分だ。
男N:なんとかわいい女ではないか。
男:「僕が好きっていいなよ」
女:「死んでもいや」
男:「どうして」
女:「あんさんなんか嫌い」
男:「どうして?」
男N:握った手は、やわく白い。烏賊の甲のようだ。
男N:とうとう声を上げて笑い出した僕を女は、いつもの癇癪でつねった。
0:
男N:ある日女と連れ立って川べりを歩いていた。
女:「あんね、うち、あと十年は生きると思うんよ」
男N:思わず立ち止まった。女を上から下まで眺めおろして、ふぅんと鼻を鳴らした。
男N:もう今にでも死んでしまいそうだ。
女:「せやからね、ね。聞いたはる?」
男:「うん」
女:「うちが好きやったらね」
男:「ふふ、早く言いなよ」
女:「嫌やわそんな言われたら」
男N:女はなよなよとはにかんだ。少しいら立って女の腕をつかんでゆすぶった。
男:「言いなよ。なんだい」
女:「ね、どおぞ一緒にここへ埋まったってください」
男N:とたんにガクリと膝がくずれた。夕暮れに女の腕をつかんでいた。ぶら下げていた。
男N:かわいい女だった。
男N:きれいな墓をつくって後を追って死んでやろうと思った。
0:
男N:薫ったまま腐り落ちた寝覚めでありました。ゆめをみていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?