もうそこにない、しずか

人間が生まれた時から
自然は人間の王を指名してきた
人間を調整するために
大いなる殺し合い、大いなる繁殖をもって調整するために
或る時自然は人間を異常とみなした
あまりにも彼らが大きくなったので
人間を滅ぼすべく明確な意思をもって
王が選ばれた

何人も王が選ばれた
密林の奥から高山の頂まで人は栄え
王はいたるところにいた
最後にひとりになるように王は選ばれた
それは黒く輝く肌をした少女であった
すべてが黒曜石のようだった
光を吸うような黒い瞳をしていた

彼女には天使がいた
天使は彼女を愛していた
天使は知っていた
自然が少女を選んだことを
少女がいずれ人間の焔にのまれていくことを
天使のささやかな願いはかなわなかった
天使は小さく無力だった
怒りの焔をもたなかった

天使には聞こえていた
いのちの生まれ分かち消えゆく、
そのすべてのこえが
水のこえ、風のこえ、生き物のこえ
人間のこえももちろんきこえた
だがあまりに小さかった
岩にしみこむ水音の方がはるかによくきこえた

いつからか
産声がおいつかぬほどに
自然が死ぬこえが聞こえるようになった
人間のこえはだんだん大きくなった
爆弾の音がシンバルのように鳴り響いた

静寂という安らぎのないことを
天使は嘆いた
大きなうねるような恐ろしい自然のこえ
束になって死ぬときのぞっとする重唱
天使はひとりきりだった
でもある日少女をみつけた
彼女はなにも声を発しなかった
彼女のそばにいると静かだった

天使は物言わぬ少女が好きになった
でも自然が意思をうごかしはじめ
天使の耳に再び恐ろしい響きがきこえた
自然の指が少女を指したのを天使は見た
天使の悲鳴は少女の喉から高く細くもれでた

少女は少女のまま王となった
人間最後の王となった
滅ぼすために彼女は戦い
たたかうたびに勝鬨をあげた
それは自然のこえだった
少女は丘で最後の敵と刺し違え
人間はすべて滅んでしまった

自然は歓呼して歌い
人間と文明の上にまたたくまに他の命がさかえた
芽吹きのおとが喇叭のように吹きわたった

少女がしんだ最後の王国で
天使は耳をかたむけていた
人間のこえがかすかにでも聞こえないか
少女の静けさがどこかに残っていないか
やがて天使はためいきをついた
ほうっ
それきり天使は消えてしまった

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