トリコロール

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青が好きなあの人と、赤が似合うあの人と、キャンバスになりたかった僕―

常連の多いカフェの窓際で、始まって終わった静かな物語。

少年:カフェの窓際の席に一日中座って、窓の外を見ている。

女:元ジュエリーデザイナー。現在は画家の夫のマネージャーのような立場

男:画家。青しか使わないという主義の持ち主。

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(カフェの中)
(座っている少年に女が歩み寄る)
女:ここ、いい?
少年:……
(少年の向かいに女性が座る)
女:いつもこの席にいるね。
(少年顔を上げる)
女:すいません、アメリカン。(少年に)何か、おごってあげよっか。
少年:……ココア。
女:じゃ、アメリカンとココア。
(店員を見送る)
女:いつも水しか飲んでないよね?
少年:……なんで?
女:私さ、そこの隅っこがお気に入りで、そこからこの席が見えた。午前から夕方までずっといるじゃない。なんか、大丈夫かなって思って。
少年:あなたもずっといるよね。コーヒー一杯しか頼まないくせに。
女:え。見てた?
少年:こっちずっと見るから。暇そうだなって思って。
女:暇じゃ、ないけど。あ、ありがとうございます。
(コーヒーとココアを受け取る)
少年:これ、ホントにおごってくれるの?僕オカネないよ。
女:え?まぁ、おごってあげるけど。お金ないのに毎日カフェにいたの?
少年:閉店したら、余ったケーキとか飲み物とかくれる。
女:ええ?
少年:サンドイッチもくれる。
女:親戚とかなの?ここの人。
少年:別に。
女:へぇ、いい人だ
少年:開店前の手伝いしてるから。普通じゃない。
女:お給料代わりか。割の良いバイトかも?
少年:おいしい。
女:良かったね。
少年:……
女:……
(女、コーヒーを飲む)
女:家は?
少年:ここ。
女:ん?
少年:ないから。……家がね。ここに居候してる。
女:……そっか。
(少年、窓の外を見る)
 (暗転。)
 (明転。)
(少年、窓の外を見ている)
女:おはよ。
少年:……
女:また、ココアでいい?
少年:うん。
女:すみません、……あ、すみません。コーヒーとホットココアで。
少年:お気に入りの席、やめたの。
女:実は窓際の方が好きだし。あれ、ホットでよかった?
少年:うん……おごってくれるならいいけど。
女:でしょ。
少年:暇なの?
女:暇っていうか、仕事が普通の時間帯じゃないんだよね。 
少年:なんの仕事?
女:絵本、つくってる。家で出来ちゃう仕事だから、日中は、まぁ暇かな。
少年:絵本ってどんなの。例えば?
女:子供向けのだから……知らないと思うよ。
少年:絵本けっこう好きだよ。
女:う~ん。えっとね、『銀河鉄道の夜』とか『よだかの星』とかなら知ってるかな。青い表紙の本。
少年:……知ってる。あの絵、すごい好き。……あんたが?
女:文字と装丁だけ。絵は全部ウチの旦那。
(少年、カップを置く)
少年:…………だんな?
女:画家なんだよ。
少年:うん、知ってる。
女:あれ、なんで?
少年:青しか使わない人でしょ。
女:うん。よく知ってたねぇ無名なのに。お金に興味ないっていう芸術家肌でさ。こっちは困っちゃう。
少年:あの人の絵、すごいきれい。
女:青しか使わないなんてマニアックじゃない?全然売れないし。
少年:でも、きれいだよ。
女:うん、まぁ……そう。そうだね。身内なのにおかしいけど、あの絵は、きれいだなぁ、って思う。
(少年、目を落として女の手元を見る)
少年:青じゃないんだね。
女:え?
少年:指輪。
女:ああ、これ?どうかした?
(女、指をかざす)
少年:石、青じゃないんだなって。
女:うん。これね。
少年:ルビーみたい。
女:みたいって、ルビーよ。
(女、笑う)
少年:なに。
女:あのさ、あの人がこれ買ってくれたんだけどね。これ、私がデザインしたんだよね、ジュエリーデザイナーしてた頃に。
(指輪を眺めながら)
女:はじめて自分のデザインが商品化されたから緊張してたら、発売からしばらくして、結婚して下さいってこれ出されて。
少年:プロポーズ?
女:すっごい真剣な顔でだよ、嫌んなっちゃうでしょ。自分で作ったんだっつぅの。……あれに、やられたなア。
少年:ときめいた?
女:え、ううん、呆れちゃった。呆れすぎて、思わずいいよって言っちゃった。半笑いだったけど。
少年:青しか使わないのに、ルビー選んだんだ
女:ね、変だよね。あの人の指輪は、同じデザインでサファイアのを作ってあげた。このデザインとルビーが君らしくて一目惚れで選んだって言ってた。デザイナー本人なんだから、らしいも何もないじゃん。ね。
少年:似合うよ、ルビー。
女:んふ、そう?
少年:きれい。
女:ありがと。で、結婚してジュエリーデザイナーやめて、いまは旦那のお守り。
少年:だんな、放っといていいの。
女:いいの。あのひと、絵の邪魔すると怒るから。
少年:ケンカしてる?
(一瞬、女が口ごもる)
女:してない。してないけど、ちょっと退屈。家がアトリエになってるから、あの人が描いてる間は追い出されちゃう。
少年:それでずっとここにいるの。
女:絵のモデルとか雇ってるらしいから、ちょっと遠慮するしね。
少年:……
女:自分の家だけど帰りづらいな。変なの。
少年:……(小声で)つらいね
女:ね、開店準備以外ずっと暇なの?ずっとここにいるの、退屈でしょ。
少年:時々、他の仕事する。
女:へー、どんな?
少年:ココア、おかわりしていい?
女:いいよ。あ、頼んであげる。
少年:あんたのだんなの、モデルしてる。
女:え?
 (暗転)
(声のみ)
(扉の開く音)
男:……この部屋には入らないでくれって頼まなかったっけ
女:今描いてる絵、見せて。
男:なんで。まだ全然未完成だよ。
女:いいの、見たい。
男:オレが嫌だ。未完成のは見せたくない。あ。……今度の絵は、君との本に載せるヤツじゃないぞ。
女:今度のって。最近ずっとでしょ。絵本でも出さなきゃ、お金にならないよ。
男:君はオレの絵を売ることしか知らないんだな。正直オレは、絵本なんて反対だ。
女:絵だけ売ろうとしたって売れないじゃない。
男:売って欲しいなんて頼んでない。
女:絵、見せてよ。売らないから。
男:嫌だ。見せたくない。ケチつけるだろ。
女:ケチなんかつけてない。
男:つけてるよ。
女:ねぇ!……ねぇ、モデルにちゃんとお金払ってる?あげてないでしょ。
男:あの子に金をあげるのは違うんだ。そういう子じゃないんだよ。
女:あのね!ちゃんとお金あげて。モデルにまで迷惑かけないで。子供だからって。
男:うるさいな、うるさい。……あの絵は絶対、売らない。絵本にもしない。あれは僕とあの子の絵だ。外からやいやい口出しされるのは大嫌いだ!
(バタン!)
 (明転)
(再びカフェ)
(女が来店して席に少年がいないのに気づく)
女:あれ。
(女、辺りを見回して)
女:あ、そっか。モデルか、今日は。……。
(窓の外を見ていたが、急に身動きする)
少年:コーヒー、頼まないの。
女:うん……、どうしたの?
少年:なにが。ココアも頼んでね。
女:うん……。
女:あの、カプチーノとココアを。
女:モデル、してたんじゃないの。どうしたの。
少年:もういいって、言われた。
女:え?
少年:モデル、もういいって。僕の絵、描くのやめたみたい。
女:……
少年:描けなくて、挫折しちゃったんだって。今のままでも、十分きれいだと思うんだけど。だめだ、だめになった、ってずっと言ってた。
(注文の品が来る)
女:(女の前にココアが置かれる)ごめん。
少年:(カップを取り換えて)逆、こっちがココア。なにが?
女:昨日、だんなとケンカしちゃった。ちゃんと、モデルにお金払えって。二人してかーっとなっちゃって。
少年:別に、そのせいじゃないよ。たぶん。違うよ。
女:どうかな。大嫌いとか言われた。子供の喧嘩かっつーの。
少年:あのね。
女:うん。
少年:僕の絵、描かなくなって捨てちゃうんだったら、僕に下さいって、だんなに言って。
女:私が?私が言ったら聞いてくれないよ。
少年:あの絵、欲しい。ホントに要らなかったらで、いいから。
女:うーん。言うだけ、言ってみる。
少年:うん。
女:ね、どうしてあの人のモデルになったの?
少年:聞きたい?それ。
女:言いたくない?
少年:ううん。別に。
女:じゃ、聞きたい。
(すぅ、と色がつく)
少年:色が好きなんだ。12色の色鉛筆もらって、塗り絵ばっかりしてた。そのうち色鉛筆がちびちゃって、なくなって、つまんないから、考えることにしたんだ。 人とか、モノとか、これはどんな色かなって、考えてた。
少年:先生は、ぼーっとしてないで。教科書ぐらい開きなさい。って。  
少年:教科書には色が少ないよ。教科書じゃなくても、ぜんぶに色がつけられる。
少年:同級生が、どこ見てんの?何か面白いもんある?って。
少年:面白くはないけど、きれいな気分に浸ってられる。
少年:女子が、ねぇ、人の顔じろじろ見るの感じ悪いよ。って。
少年:ごめんね、でもみんな違う色。
少年:仲が良かった子が、喋ってるときに凝視するのやめて?喋りにくいし。って。
少年:でも、しゃべったり、ふれあったりすると、色が重なって、きれい。
少年:先生が、こら!日直誰だ!黒板消えてないぞ!って。
少年:友達が、あいつでーす!って言ったら、
少年:先生が、またか。って。
少年:いろんな色が、僕にぶつけられる。
少年:こっち見ないでよ!なに……?って。
少年:何ぼーっとしてんだよ。何にもしねぇなら帰れよ!って。
少年:みんなが色をぶつけたいのなら、僕はキャンバスになることにした。ぶつけられた色が映えるように。
少年:先生が、僕を呼び出して言った。「おまえ、最近グループ活動とか参加してないんじゃないか?他の先生からよく聞くぞ」。
少年:その頃の僕は色を集めることに夢中だった。
少年:先生が「仲間はずれにされてるんじゃないのか。それなら言えよ。何にも言わないでぼーっとしてるんじゃ、おまえを助けることはできないぞ」って。
少年:先生は僕がキャンバスでいることが気に入らないみたいだった。
少年:先生はそのうち、「黙ってちゃわからないんだよ、黙ってちゃ!」って。
少年:先生は僕を見放した。僕は、先生の色がキャンバスから消えるのを惜しんでた。学校をやめたら僕のキャンバスは青一色になったよ。
(カフェの席)
男:君、いつもここにいるね。
男:オレは仕事の時間が不規則なんだよ。
男:画家だけど。売れないから、まぁ、暇だな。
男:何か、おごってやろうか。ココア?はいはい。
男:オレの絵?絵本ならあるけど。見て文句言うなよ。
男:青しかつかわないっていうスタンスなんだよ。きれいだろ、青って。
男:うちの奥さん大変だよな。旦那がオレみたいなのでさ。編集者から陰気な色遣いやめろだのなんだの言われてるらしいけど、俺には一回もそんなこと言わないよ。
男:でさ、プロポーズしたら、その指輪私がデザインしたんですけど、って言われて。もう無理かと思ったら、いいよって言われた。
男:あいつには、赤が似合うな、なんか。そう思わない?わからんか。
男:この絵本、一個だけ赤い星があるだろ。これ、ウチの奥さんのつもり。あいつは全然気づいてないけどな。え?言ってないよ。恥ずかしいし。
男:あ、そうだよ、青しか使わないスタンスだけど……なんかこれはスタンスとかじゃなくて、入れたくなっちゃうんだよな。内緒だよ。
男:ところで、なんで君ここにずっといるの?学校は?
(一瞬の間)
少年:聞きたい?それ。
男:うん、聞きたい。
(周囲がカフェの風景に戻る)
少年:それでね、あの人に今と同じ話をしたんだよ。
女:……。
少年:なんであんたが泣くの。
女:……。
少年:あの人、僕の絵を描いてる間、僕の集めた青のことを聞くんだ。僕は、あの人のためにずっとここで窓の外見て、ありったけ青を集めてくの。僕はあの人の絵が好きだよ。
女:うん、
少年:僕、あの人の色、好き。
女:…うん。私も、あの人の絵、好き。あの人の青が好き。
少年:そう言えば。だんなに。
女:うん。言えたらいいね。
少年:僕もね、言ってない。あの人に。あんたの青は特別キレイで、あんたの絵が大好きだって。
女:言えたらいいね。
少年:もう僕の絵描かないのかな。
女:うん。
少年:僕の絵、欲しいな。
女:見たいな。私も、君の絵。

(次の日)
(女、少年の席に歩み寄るが、座らない)
(少年、女を見上げる)
少年:こんにちは
女:うん?……こんにちは。
少年:ふふ、座らないの
女:私ね、引っ越すの。
少年:どうして。
女:どうしてって、たまには、そういう気分になるよ。
少年:そう。いやなことあった?
女:結局ね、だんなに言えなかった。君の絵、もらえなかった。ごめんね。
少年:僕の絵、見た?
女:見せてくれなかった。
少年:そう。
女:今日、タクシーよんであってね。それから新幹線。もう、すぐ。出発。
少年:楽しみ?
女:まぁね。
少年:じゃぁ、いいんじゃない。
女:一緒に来ない?
少年:どうして。
女:暇な者同士、お似合いかなって。
少年:そうだね。
女:楽しいよ、新幹線。景色とかは、あんまりだけど。
少年:そう。
女:実はね、新幹線の切符取ってあるんだ。二人分。
少年:だんなの分?
女:だんなは来ないから。君の分。
少年:僕の?……来ないの、あの人。
女:どうかなぁ。どうだろう。来るかなぁ。来てくれるかも。来てくれたら、私何もかも忘れたふりして「初めまして」っていうの。
少年:で、デートする?
女:する。して、指輪もらう。
少年:なんだそれ。
女:(封筒を差し出す)切符。
少年:……。
女:引っ越し先の住所、教えとく。今すぐじゃなくていいから。来たくなったら、来て。
少年:うん。
女:タクシー来たみたい。
少年:うん。
女:……これ、切符、ね。
少年:うん。
女:……じゃぁ。
(女背を向けて歩き出すが少年に呼び止められる)
少年:していかないの。
女:え?
少年:ゆびわ。
女:うん。いったん、これでいいの。
少年:そう。行ってらっしゃい。
(少年に向き直って)
女:またね。
少年:うん。じゃあね。
女:そっか。じゃあね。
(少年、窓の外を見る)
(暗転)

女:新幹線はそっけない。音楽もないし。コーヒーの香りもないし。
女:指輪を返した時の顔を思い出す。絶対怒ると思ったけど。みたことのない顔で、「いままで君に言わなかったことがある」と言った。
(男、隣に立つ)
男:だって恥ずかしいからさ。でも別れちゃうなら、いいか。
(二人とも前を向いたまま)
女:なぁに。
男:オレの絵本の、一点一点の赤い色は、みんな君だ。
女:新幹線の細かい揺れに胸やけして、窓の外を見た。銀河鉄道に乗りたかった。ジョバンニになって。カムパネルラと、どこまでも。
男:この赤い星は、君だ。この赤い炎は君だ。オレの恋した君は赤色だから。
女:ごめんね。知ってたよ。

(かつて、初めて会った日)
男:学校は、音が多くて、色が多すぎて、俺にはとてもつらかった。
少年:そうなの?僕はたくさん色があって、嫌いじゃなかったよ。
男:君はえらいなぁ。俺はどうしてもだめだった。家にいても外の音がうるさくてね。部屋の外から呼びかけてくる母親の声とかね。それで家を逃げ出して空を見て歩いた。海を見に走った。太陽がいなくなりたての夜空を見たくて座っていた。青が好きだったよ。
少年:青だけ?
男:青だけ。青だけあればよかった。でもね、不思議なことに、俺が好きになった人は赤が似合う人だった。
少年:指輪、まだしてるの。
男:うん。
男:この一点はあいつの赤を塗るために残していたんだけど。
男:キャンバスに余白があるのが悲しくて、青で塗っちゃった。
男:……待ってる、かな。
少年:待ってるよ。きっと。
(少年はほっと一つ息をついて、窓の外を見る)
少年:セルリアン・ブルー。群青色。甕覗き。ペールブルー。み空色。
少年:コバルト・ブルー。アリス・ブルー。花色。……(フェードアウト)
――終わり

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