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名づけたら死ぬ、この、

チャールズ:マレーシアにいる作家。
私(ジェレミー):チャールズの友人。故人
彼:謎の少年。

(チャールズ、スコッチを置き、ペンをとる)

チャールズ:親愛なるキャサリン
チャールズ:スコットランドの夏はさぞ美しいだろうね。思えば君に手紙など書いたのは初めてだ。
チャールズ:僕は今マレーシアにいる。先日一通の驚くべきエアメールを受け取って急遽これを書いている。
チャールズ:エアメールというのが君の夫からでなかったら僕はこんな長い手紙を書いて袖をインキ染めにせずに済んだのだ。
チャールズ:君はせっかちだから先に言っておくが、君が夫を信頼し愛していたいならば、この先を読まずに燃やしたまえ。
チャールズ:いいかね。この先に書いてあることは君の夫が僕に書いて寄越した告白文だ。
チャールズ:そこをはき違えずに、夫への信頼などは捨て去って読むんだな。

(以下、同封された原稿より)

私:(N)垂れこめた曇りの日に、寄り添うように後ろを歩く人がいた。
私:(N)揃いがちな足音を聞きながら、私は足を速めた。
私:(N)しかしその人は私と同じカフェに入り、足音をそろえながら、ついには私の隣に座った。
私:(N)こらえきれず向けた目に、黄色いレインコート。
私:……何だい。さっきから
彼:なぁに
私:なぁにじゃない
彼:雨が降りそうだけど傘を忘れたんだ。君もそうでしょう
私:君はレインコートを着てるじゃないか
彼:このカフェの角の席が好きなんだ
私:あっちの角にいけばいい
彼:この角が気に入ったんだ
私:隣に知らない人が座るのは嫌なんだ。私だけかな
彼:君だけじゃないかな
私:(N)彼は口笛でも吹きそうな上機嫌さで、私の不機嫌を受け流した。
彼:僕、君のこと嫌いじゃないな
私:そう?私は嫌いになりそうだ
彼:うそつけ
私:あんまりしつこいと私が出て行くぞ
彼:えっどうして
私:どうして!……どうしてってなぁ
彼:レモネードでも頼もうよ
私:いいから違う席にいきなさい
彼:どうしてさ。君の隣に座る人なんか他にいないからいいでしょう
私:(N)たしかに。この冬に、私の隣に座る人はいなかった。
私:(溜息)レモネードがいいの?この季節に?
彼:冬のレモネードがいいんじゃないか
私:きっとレモネードなんて置いてないよ、こんなに寒くっちゃあ
彼:そう……それじゃダメ
私:残念だったね
彼:別の所に行こう
私:行かないよ。私はここでコーヒーを飲んで温まるんだ
彼:ダメだよ。騒がしい所に行きたいんだ。いいでしょう
私:(N)そのとき私が何を考えたのかよくわからない。
私:(N)とにかく私はその白い手を取って。焚火に惹かれる野獣のように立ち上がった。

私:(N)てっきり音が襲い掛かってくるようなアングラ―クラブかディスコへ行くのだと思って辟易していた。
私:(N)彼がドアベルを鳴らしたのは意外にも駅横のバーだった。
私:(N)細長い店内を進んで行くと、耳にはただグラスの音が響いた。薄暗い中に絡み合い寄り合う影があった。
私:(N)彼らはさわさわと囁き、私たちに目を向けた。
私:ここが騒がしい所?
彼:騒がしいじゃない
私:(N)そう、視線は騒がしかった。
私:居心地がわるいね
彼:どうして
私:ずいぶん見られている
彼:気にしなくっていいよ。あいつらはお化けみたいなものだから。何にもしやしない臆病なお化けだから大丈夫
私:君はお酒を飲めるの
彼:どうだっていいよそんなのは
私:お酒を飲む場所だよここは
彼:じゃあお酒を飲もう
私:(N)私はもうどうでもいいような気持になって、彼に引っ張られていった。
彼:ここにしよう
私:(N)手が離されたのはカウンター席だった。
私:(N)脚の高い椅子に腰かけて彼は腕を組んだ。
彼:物見台だよ
私:何を見るの
彼:あの二人一対のお化け
私:たしかにおばけみたいだ
私:(N)でも妖精のようでもある。ああして静かに寄り添っているなら、若い恋人たちはなんて美しいのだろう。
私:(バーの店員に)エッグノッグを
彼:それ、おいしい?ぼくも
私:君の口には合わないよきっと
彼:それなら君にあげるよ。それよりさ
私:(N)彼はお化けたちがよっぽど面白いらしく、そちらを指さした。そっとしておけばいいのに。
彼:どっちが好き?
私:ん、なにが
彼:あそこにいる女の子二人
私:好きってなんだ
彼:好きって知らないの、大人のくせに
私:(N)彼は笑ってエッグノッグをのんだ。一口飲んで、不味そうに舌を突きだした。
私:(N)そらみろ、と口の端で笑った。
私:左。ロングの方
彼:じゃあ僕は右
私:ロングよりショート好きか
彼:右のほうが君に近い
私:どこが
彼:髪が短い
私:あきれた
彼:それじゃ向こうのカップルは?
私:カップル?まさかどっちが好きとかいわないだろうな
彼:どっちが好き?
私:……あの彼女は結構きれいだよ
彼:ふぅん。じゃあ僕は男
私:(N)思わず彼の顔を透かし見た。弱い照明に白くぼけて幽霊のようだった。
彼:理由が聞きたい?君が男だからさ
私:ふざけてるだろう君
彼:ふざけてない。君はお遊びだと思ってるね
私:そんなんじゃない
彼:そんなんじゃなかったらどうなの
私:私は、そんなんじゃない。君だって
彼:僕がなぁに
私:(N)何を言っても不利だという気がした。
私:―――帰るよ
彼:そんなに防衛線を張らなくてもいいじゃない
私:よくない。君はこわい
彼:こわい?
私:こわいよ
私:(N)こわかった。寝る前に母親を呼ぶ子供のように私は怖がって、それでいて彼の手を握った。
私:(N)そうして、私たちは二人一対の妖精の仲間入りをした。

私:(N)私は彼から離れられなかった。
私:(N)彼は気まぐれに街の中で私を見つけて、するりと私の腕を取った。私は振り払わなかった。
私:(N)雨が降れば寄り添って傘を差した。
私:(N)彼と目を合わせるとき、私はいつでもおびえていた。
彼:あきらめて
私:(N)あるとき彼はそういった。
彼:早く僕の所へ堕ちておいで
私:たしかに君はすてきだけど、そういうところは嫌いだ
彼:僕じゃなきゃダメなくせに。どうしてそう強情なの
私:君が悪魔だから
彼:君はエクソシスト?あはっ
私:(N)笑みに開いた唇。
私:(N)私は夕日に見惚れる帰宅者のように、吸い込まれていった。

私:(N)時がたつにつれ、彼はさらに好き放題にふるまった。傍若無人な若さはライオンのように美しかった。
私:(N)時には突飛なことを言って私を連れ出した。
彼:プールに行こう
私:プール?
彼:学校の。みんな行ってるよ
私:ええ……学校。何歳だと思ってるの
彼:僕は17だよ。行こう
私:(N)私は彼に腕を取られて出かけた。
私:(N)広くもないプールで、彼は、子供たちに混じってはしゃいだ。
私:(N)と思ったら、爆発した。彼は突然子供たちに怒鳴った。
彼:うるさいなぁぁぁ!あっち行け!いっちまえ!
私:(N)自分より小さいこどもが高い声を出すのがいやらしかった。
彼:うるさいの、嫌いなんだよね
私:(N)子供たちがすっかりおびえて人の減ったプールを彼は悠々と楽しんだ。
私:(N)私はポケットをさぐったが、タバコがなかった。持っていると彼が取ろうとするのでやめることにしたのだった。
彼:いっしょに沈もうよ
私:(N)彼はプールに沈んでは浮かんで、きゃらきゃらと笑った。
彼:たのしいよ
私:すこし休む
彼:ちぇ
私:(N)煙草のない夏の昼はただただ暑かった。
彼:まるでいまにも死にそうだね
私:(N)彼の笑い声を聞きながら私は本当に死ぬような気がした。
私:(N)深海に眠りを求める鯨のように、私は彼の背を遠く見て眠った。

私:(N)私はとうとう耐えきれなくなって、封筒に指輪を入れてスコットランドへ送った。
私:(N)彼が隣でそれを見守った。彼にはその意味がよくわからないらしかった。
彼:指輪よりピアスをしようよ
私:しないよ
彼:似合うよ
私:似合わない
彼:でも僕には似合うと思うでしょう
私:(N)彼の耳をみつめた。
私:(N)キスをしたら指に触れてひやりと熱を吸うシルバーの質感を想像した。悪くないと思った。
私:君はきれいだ。悪魔のようだ
彼:そうだよ、僕は若い。そしてきれいだ。君は僕が好きだ
私:君が私を誘ったんだ
彼:ちがうよ。君がそこにいたんだ
私:……傲慢だ
彼:違うよ。君が卑屈なんだ
私:(N)彼の言い方はいっそ優しかった。説き聞かせるように彼は言った。
彼:しあわせだね、ぼくたちは。幸せになろう
私:なれないよ
彼:そら、卑屈だ
私:(N)私は絶望すべきだった。しかし私はこの時を愛していた。どうしようもなかった。

私:(N)私は彼に連れ出されて何度か死を想った。
私:(N)そのうちに体が先に死へ走り出した。
私:(N)白いベッドに体重分沈んでいる。そのうちこの重みすらなくなってしまうのだ。軽くなって神のもとへ。
私:君、名前は
私:(N)はじめてそう訊いた。
私:(N)ひどく新鮮な心持ちがした。
私:(N)出逢ったばかりのような。
彼:うん、
私:(N)けっきょく名前を知らない彼は、首を傾げて私を見下ろした。
彼:忘れちゃった
私:じゃあ僕の名前は知ってる?
彼:しらないよ
私:名のったけどな
彼:しらない
私:(N)思いついたように彼は私の手を握った。眠りに惹かれていた心が体に戻ってきた。
彼:おしえてごらん。一回こっきり呼んであげるから
私:ふふ
彼:君のお葬式に、行くよ。僕
私:(N)彼の声はなんて甘いんだろう。
彼:お葬式でね、君の好きなこの声でね、君の名前を呼んであげるね
私:(N)目がかすんだ。まだ私は泣けるのか。
彼:そうしたら未練で生き返るでしょう
私:(N)嗚呼。
私:(N)眩しい。
私:(N)と思った。
私:もう死ぬよ
私:(N)私はただ、白い張り詰めた布をたゆませていた。
私:(N)彼は月に惹かれる自殺者のようにそこに佇んだ。

(チャールズの手紙に戻る)

チャールズ:以上が、君の夫による長々しい告白文の内容だ。
チャールズ:ジェレミーは僕に手記の形でこの内容を送ってきた。
チャールズ:「君がこれを読むころには僕はもうきっと神様のところにいるだろうから」などという陳腐な書き出しで。
チャールズ:彼の書き様が非常にくだくだしく回りくどいので、僕はいらいらした。
チャールズ:よくもこの僕にあのような稚拙な書き物を送り付けたものだ。文章のまずさが見ていられずに一字一句書き直したよ。
チャールズ:君が読んだのは僕が私小説風に書き整えたものだ。多少脚色と想像があるがおおむねジェレミーの告白に忠実だ。
チャールズ:冒頭でも注意した通り、君にとって愉快な読み物ではないだろう。
チャールズ:君の愛する夫がこの五年間いかにして君を裏切り、恥知らずの恋愛の中で死んでいったかという記録なのだから。
チャールズ:僕は君のためにジェレミーの告白を握りつぶすこともできたのだ。
チャールズ:だが僕は君にあえてこれを送るよ。僕とてこの憎たらしい読み物についていまさら語りたくないが
チャールズ:……君にあれほど心を開いた僕よりあんな憂鬱な男を選んだ君への恨みが僕にこれを書かせた。
チャールズ:君に裏切られた僕の心の復讐だ。
チャールズ:キャサリン。ジェレミーの手記には君の名がひとつも出てこなかったよ、君の輝かしい結婚の後味はどうだい。
チャールズ:僕はこれを三か月後には出版する予定でいるからそのつもりで。
チャールズ:タイトルは今考えている。何がいいと思う?
チャールズ:君が望むなら序文もつけてあげるよ、
チャールズ:「親愛なるジェレミーのために。彼の愛の記録をここに残す。彼を愛したキャサリンに贈る」とね。
チャールズ:親愛なるキャサリンへ、マレーシアの夏の香りを添えて。
チャールズ:P・S・数か月前にジェレミーが僕に送ってきた手紙を同封したので、読みたければ読むといい。

(以下別紙、ジェレミーの手紙)

私:最愛の友人へ
私:チャーリー、君がこれを読むころには僕はもうきっと神様のところにいるだろうから、そのつもりで読んでほしい。つまり遺書として。
私:君がキャサリンを愛していて、同じくらい僕を憎んでいることは僕だってわかっているつもりなんだ。
私:この手紙に添えた手記を読み終わったら一層にその気持ちが激しくなるだろうと思う。
私:それでなくたって、大英帝国の誇る(女王陛下万歳!)作家チャールズ=ウィリアムスに僕のつたない文章を送るのは恥ずかしい。
私:だが僕は書かずにはいられなかった、申し訳なくて。神にも、父母にも、妻にも。
私:でももう死ぬんだから君に何もかも吐き出してしまおう。僕たちはイートンで学友だった。
私:あのころ僕は君が好きだったのだよ、知ってる?
私:結婚後君はいちども会いに来ないけど、キャサリンは昔のまま美しいよ。僕はけっしてキャサリンを裏切ったわけではないんだ。
私:僕の手記は読んだら、君の好きにしてくれよ。さよなら、君に栄光を。

チャールズ:さて、出版にあたり私チャールズ=ウィリアムスはあったかもしれない一セリフを書き加えた。
チャールズ:読む者の胸にこの物語を運命的に刻むために。
彼:――「ジェレミー」
彼:なんだよ、生き返らないじゃないか
チャールズ:甘やかなレクイエムと軽やかな靴音を添えて。最愛のひとへ捧ぐ。

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(「以上、チャールズ・ウィリアムス唯一のラヴ・ストーリーとなった一作より」)

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