これから先は未知の世界

もう、4月らしい。早い、早すぎる。
新年明けたばかりのはずなのに、もう、もうかぁ……。と、今日一日ぐるぐると思っていた。
いっそうエイプリルフールだし嘘になってくれと思った。

こんなにも新年に嫌気を指している理由は、学校を編入したからだ。
しかも奨学金を借りてまで自分の意思で新たに学校へと通い始めるからだ。

こんなにも自分から何かリスクをおかしてまで行動するのは初めてだから、何もかも不安で仕方がない。
ゼロから学び職に繋げることが出来るのかがものすごく不安なのだ。
まだ、心の準備が出来ていない。単純な理由程意外と重かったりするんだな。
僕が編入した先は専門学校。専門学校のイメージは、趣味でやっていたとか、興味がある分野とか、素人ではない何かしら知識や技術を持っている人がさらに深く学ぶ場所。と思っている。
そんな僕は全くの無知からスタートする。
専門学校の先生が”ゼロからでも大丈夫”だと言っても、言葉と現実、空気感が違うと思うと怖気ずく。
だからもう三日後に入学式があると思うと吐き気がする。

今さらウジウジと考えても成果を出さぬ限り分からないことばかりなのに、どうしても未来という未知のモノには不安を抱く。将来に希望を持てるなんて確証が用意されていたり、決まっていない限り稀だと思う。

新しいことに、蓄積された経験も知識も技術もないのに、自ら先の道を作りながらゴールを目指し足掻くことに不安しかない。
それでも僕は進まなければならない。生きていくためには何かしら金になることを身につけなくてはならない。

なんの希望も持てない未来へ足掻く怖さ。
生きていくうえで一番重要で死ぬまでの付き合いである金を借りてまで学びに行く恐怖と責任。

新しいことを学ぶわくわく感、自分の好きなものも含まれる世界に飛び込みに行く楽しみな気持ちはもちろんあるが、怖さというのはどうしてもどんな気持ちにも勝ってしまう。
マイナスなものは日本人にとっては毒と同等だな……。

どんな壁が待ち受けていたって大丈夫!!と前向きに叫びたいところだがそうも言えない。今まで一度乗り越えられないと思ってしまったことは、いくらやりたいと思っても過去形にして諦めてきた。そんな僕がこの先乗り越えてきた過去もなしに言い切れない。

こんな風にどんどんマイナスへと考えてしまう。
入学後の未来、コロナが収束してからの未来、AIが進歩した未来。何が待ち受けているのだろうか。

未知の世界

僕は、4月から、どんな気持ちで、どんな姿で足掻き進み始めるのだろうか。
足掻け続けられるだろうか。

未来の自分に託した。

希望は、確証が無いから「希望」というのだろうか。
本当、外見キラキラて無責任な言葉だ。

そういいながら今日も無意味な希望に縋ろうか……。

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