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それぞれの生様

主人の実家は気仙沼港近くに建っていました🏠
娘が小さかった頃はじいちゃんばぁちゃんに可愛がってもらい、大島にフェリー🛳で遊びに行ったり楽しい思い出がたくさんあります。
あの日あの地震さえ無ければきっと今でも夏は気仙沼へ海水浴🐚や釣り🎣に行っていたでしょう。
10年前のあの日を思い出すのは私にとってとても辛くしんどいです。
主人がポツリと言いました。
「想い出も全て流されてしまったなぁ…
もう自分の心の中でしか思い出せない」と
後に気仙沼の実家を見に行くことになるのですが、その時には実家は跡形何もかも無くなっていました。
震災後、夫婦して泣きませんでした。
泣いてる暇が無かったからです。
震災の日の夜、何とかポータブルテレビに映った気仙沼の惨状はいまでも目に焼き付いて離れません。
真っ赤に燃えていました。
気仙沼の実家で一人暮らしをしていた義母は
幸い親切な近所の方に避難させていただき
最終的にヘリで救助となりました。
仮設住宅に住んだ後、常設の市営住宅に入居した後2年前に癌を患い亡くなりました。

震災さえ無ければもっとゆっくりと楽しい老後を過ごせていたかなぁと今でも思います。
最後は大好きな猫ちゃんと一緒に暮らせたのがせめてもの救いだったでしょうか?
義母が元気だった頃の思い出は
「お母さんは家族の太陽だからどんなに辛い事が有っても笑顔でね、太陽が曇っていると家族皆んなが暗くなってしまうからダメよ」
と言われたこと。
今でもそれは守っています。

大震災を美談の様に語る方がいらっしゃいますが、私はそれはどうかなと思います。
辛さや苦しみや悲しみや悔しさ
それから逃れることは到底できません。
私の記憶からは消してしまいたいくらい辛いです。
作り話ではなく本当に沢山の方々が亡くなり苦しみました。

10年経ったら今度はコロナウイルに振り回され、先日の大きな地震にも遭い、
一体人生って何なんだろうとずっと思い続けています。

10年前被災した自分に今の自分は何て伝えたら良いのか考えます。
残酷で何も伝える事は出来ないでしょうね。


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